全米プロゴルフ選手権とはゴルフの世界4大メジャートーナメント大会の一つである。正式名称はPGA Championship。PGA OF AMERICA(アメリカプロゴルフ協会)主催で、毎年8月中旬に開催する地区を変えて実施している。
第1回は1916年に開催され、ジェームス・M・バーンズ選手が優勝した。それ以降は1917-1918年、1943年の戦争による中止をはさんでいるが毎年開催されている。初めはマッチプレー形式で行われていたが、1958年からはストロークプレー形式に変更されている。
出場資格(2004年大会)
過去の全米プロゴルフ選手権優勝者
過去5回のマスターズ、全米オープン、全英オープンの優勝者
2004年PGAシニアチャンピオンシップ優勝者
2003年全米プロ選手権上位15位(タイを含む)の者
2004年PGAクラブプロ選手権上位25位以内の者
2004年獲得賞金ランキング上位70名
2002年ライダーカップ(※)メンバー(米国チーム)
2003年度全米プロ選手権以降のPGAツアー競技優勝者
PGAオブ・アメリカの推薦する者
賞金ランキング70位以降の上位者を出場者が150名に達するまで順次追加。
※ライダーカップとは2年に1度開かれる大会で、欧州選抜対米国選抜で争われる。賞金はなく、選出されることが名誉だとされる。
[編集] 記録
最多優勝回数:5回,ウォルター・ヘーゲン(1921年,1924年,1925年,1926年,1927年),ジャック・ニクラス(1963年,1971年,1973年,1975年,1980年)
最多連続優勝:4回,ウォルター・ヘーゲン(1924年,1925年,1926年,1927年)
最多トップ10回数:15回,ジャック・ニクラス
最年少優勝者:ジーン・サラゼン(20歳5ヶ月22日),1922年
最年長優勝者:ジュリアス・ボロス(48歳4ヶ月18日),1968年
72ホールの最高スコア:265,デビッド・トムズ,2001年
最多出場:37(アーノルド・パーマー,ジャック・ニクラス)
日本人選手の最高位:3位,中嶋常幸,1988年
[編集] 歴代優勝者
1916年:ジェームス・M・バーンズ(シワノイカントリークラブ,ニューヨーク州)
1917年-1918年 第一次世界大戦のためトーナメント中止
1919年:ジェームス・M・バーンズ(エンジニアズカントリークラブ,ニューヨーク州)
1920年:ジョック・ハッチソン(フロスモアカントリークラブ,イリノイ州)
1921年:ウォルター・ヘーゲン(インウッドカントリークラブ,ニューヨーク州)
1922年:ジーン・サラゼン(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1923年:ジーン・サラゼン(ペルハムカントリークラブ,ニューヨーク州)
1924年:ウォルター・ヘーゲン(フレンチリックスプリングスリゾート,インディアナ州)
1925年:ウォルター・ヘーゲン(オリンピアフィールズカントリークラブ,イリノイ州)
1926年:ウォルター・ヘーゲン(サリスバリーゴルフリンクス,ニューヨーク州)
1927年:ウォルター・ヘーゲン(セダークレストカントリークラブ,テキサス州)
1928年:レオ・ディーゲル(ファイブファームスカントリークラブ,メリーランド州)
1929年:レオ・ディーゲル(ヒルクレストカントリークラブ,カリフォルニア州)
1930年:トミー・アーマー(フレッシュメドウズカントリークラブ,ニューヨーク州)
1931年:トム・クリービー(ワナモイセットカントリークラブ,ロードアイランド州)
1932年:オリン・デュトラ(ケラーゴルフクラブ,ミネソタ州)
1933年:ジーン・サラゼン(ブルーマウンドカントリークラブ,ウィスコンシン州)
1934年:ポール・ラニアン(パークカントリークラブ,ニューヨーク州)
1935年:ジョニー・レボルタ(ツインヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1936年:デニー・シュート(パインハーストカントリークラブ,ノースカロライナ州)
1937年:デニー・シュート(ピッツバーグフィールドクラブ,ペンシルバニア州)
1938年:ポール・ラニアン(シャウニーカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1939年:ヘンリー・ピッカード(ポモノックカントリークラブ,ニューヨーク州)
1940年:バイロン・ネルソン(ハーシーカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1941年:ビック・ゲッジ(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1942年:サム・スニード(シービューカントリークラブ,ニュージャージー州)
1943年 第二次世界大戦のためトーナメント中止
1944年:ボブ・ハミルトン(マニトゴルフアンドカントリークラブ,ワシントン州)
1945年:バイロン・ネルソン(モレインカントリークラブ,オハイオ州)
1946年:ベン・ホーガン(ポートランドゴルフクラブ,オレゴン州)
1947年:ジム・フェリアー(プラムホロウゴルフクラブ,ミシガン州)
1948年:ベン・ホーガン(ノーウッドヒルズカントリークラブ,ミズーリ州)
1949年:サム・スニード(ハーミテージカントリークラブ,バージニア州)
1950年:チャンドラー・ハーパー(シオットカントリークラブ,オハイオ州)
1951年:サム・スニード(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1952年:ジム・ターネサ(ビッグスプリングカントリークラブ,ケンタッキー州)
1953年:ウォルター・バークモ(バーミンガムカントリークラブ,ミシガン州)
1954年:チック・ハーバート(ケラーゴルフクラブ,ミネソタ州)
1955年:ダグ・フォード(メドウブルックカントリークラブ,ミシガン州)
1956年:ジャック・バーク(ブルーヒルカントリークラブ,マサチューセッツ州)
1957年:リオナルド・ハーバート(マイアミバレーカントリークラブ,オハイオ州)
1958年:ドウ・フィンスターワルド(ラネーチカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1959年:ボブ・ロスバーグ(ミネアポリスゴルフクラブ,ミネソタ州)
1960年:ジェイ・ハーバート(ファイヤーストーンカントリークラブ,オハイオ州)
1961年:ジェリー・バーバー(オリンピアフィールズカントリークラブ,イリノイ州)
1962年:ゲーリー・プレーヤー(アロニミンクゴルフクラブ,ペンシルバニア州)
1963年:ジャック・ニクラス(ダラスアスレチッククラブ,テキサス州)
1964年:ボブ・ニコルス(コロンバスカントリークラブ,オハイオ州)
1965年:デーブ・マー(ローレルバレーカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1966年:アル・ガイバーガー(ファイヤーストーンカントリークラブ,オハイオ州)
1967年:ドン・ジャニュアリー(コロンバインカントリークラブ,コロラド州)
1968年:ジュリアス・ボロス(ピーカンバレーゴルフクラブ,テキサス州)
1969年:レイモンド・フロイド(NCRカントリークラブ,オハイオ州)
1970年:デーブ・ストックトン(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1971年:ジャック・ニクラス(PGAナショナルゴルフクラブ,フロリダ州)
1972年:ゲーリー・プレーヤー(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1973年:ジャック・ニクラス(カンタベリーゴルフクラブ,オハイオ州)
1974年:リー・トレビノ(タングルウッドパーク,ノースカロライナ州)
1975年:ジャック・ニクラス(ファイヤーストーンカントリークラブ,オハイオ州)
1976年:デーブ・ストックトン(コングレッショナルカントリークラブ,メリーランド州)
1977年:ラニー・ワドキンス(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
1978年:ジョン・マハフィー(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1979年:デビッド・グラハム(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1980年:ジャック・ニクラス(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
1981年:ラリー・ネルソン(アトランタアスレチッククラブ,ジョージア州)
1982年:レイモンド・フロイド(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1983年:ハル・サットン(リビエラカントリークラブ,カリフォルニア州)
1984年:リー・トレビノ(ショールクリークカントリークラブ,アラバマ州)
1985年:ヒューバート・グリーン(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1986年:ボブ・ツエー(インバネスクラブ,オハイオ州)
1987年:ラリー・ネルソン(PGAナショナルゴルフクラブ,フロリダ州)
1988年:ジェフ・スルーマン(オークツリーゴルフクラブ,オクラホマ州)
1989年:ペイン・スチュワート(ケンパーレイクスゴルフクラブ,イリノイ州)
1990年:ウェイン・グラディ(ショールクリークカントリークラブ,アラバマ州)
1991年:ジョン・デーリー(クルックドスティックゴルフクラブ,インディアナ州)
1992年:ニック・プライス(ベルリーブカントリークラブ,ミズーリ州)
1993年:ポール・エージンガー(インバネスクラブ,オハイオ州)
1994年:ニック・プライス(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1995年:スティーブ・エルキントン(リビエラカントリークラブ,カリフォルニア州)
1996年:マーク・ブルックス(バルハラゴルフクラブ,ケンタッキー州)
1997年:デービス・ラブIII(ウィングフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1998年:ビジェイ・シン(サハリーカントリークラブ,ワシントン州)
1999年:タイガー・ウッズ(メディナカントリークラブ,イリノイ州)
2000年:タイガー・ウッズ(バルハラゴルフクラブ,ケンタッキー州)
2001年:デビッド・トムズ(アトランタアスレチッククラブ,ジョージア州)
2002年:リッチ・ビーム(ヘーゼルタインナショナルゴルフクラブ,ミネソタ州)
2003年:ショーン・ミキール(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
2004年:ビジェイ・シン(ウイッスリング・ストレイツ,ウィスコンシン州)
2005年:フィル・ミケルソン(バルタスロール・ゴルフクラブ,ニュージャージー州)
2006年:タイガー・ウッズ(メディナカントリークラブ,イリノイ州)
TV放送
日本
以前はフジテレビジョン、WOWOW(いずれも独占実況)で中継していた。しかしWOWOWは2003年の大会を最後に放映権を失う。
2004年からはBS-i(大会全日)、TBSテレビ(予選ダイジェスト・日月の決勝ラウンド)を放送している。
2005年大会からこの年の「2005マスターズゴルフ」の最終日・プレーオフの途中で一旦番組終了し、「はなまるマーケット」開始時にティーグラウンドにたってた所から始まった事から今回の放送は8:27の中断なしで放送する予定。
また、2004年のTBSテレビの最終日の放送では6:00から6分間「アテネたっぷりハイライト」(翌日「ウォッチ!」の中でアテネ五輪大会期間中の平日に放送)を放送した。スカイパーフェクTV!は「ザ・ゴルフ・チャンネル」(Ch.286)が放映を担当している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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全英オープン
全英オープンゴルフ(ぜんえい−)とはゴルフの世界4大メジャートーナメント大会の一である。正式名称はThe Open Championship。イギリスのゴルフ競技団体R&A(ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ)主催で、毎年7月中旬に開催される。
4大メジャートーナメントの中で最も歴史のある大会で、2006年で135回目を迎える。日本のプロスポーツの中で最古の大会は中央競馬の天皇賞であるが(2006年5月現在、春の京都競馬場開催で133回目、秋の東京競馬場開催で134回目(予定)。なお1944~1946年は戦争のため中止)、それを上回る回数になる。
第1回は1860年にプレスト・ウィックで開かれ、ウィリー・パーク選手が優勝した。それ以後は1871年、1915~1919年、1940~1945年の戦争などによる中止をはさみながら、毎年開催する地区を変えて実施している。なお開催ゴルフ場についてはシーサイドリンクス(海岸に立地する場)に限るという不文律があり、また5年に1回はゴルフの聖地といわれているセント・アンドリュース(R&A本部がある)での開催が慣例となっている。
(本来セント・アンドリュースでは2006年開催予定の大会が、ジャック・ニクラウス選手のメジャートーナメント完全引退試合と定めたことから、1年前倒して2005年に開いた。)
プレーオフは一般的な最初からのサドンデスではなく、4ホールのストロークによって争われ、それでも決着が付かなければサドンデスである。以前は翌日18ホールのストローク・プレーだった。(すなわち、もう1ラウンドを回ること。全米オープンでは現在も採用されている。)
優勝者には「クラレット・ジャグ」と呼ばれる優勝トロフィーが贈られる。
2005年大会出場資格
2004年全英オープン上位10位タイまでの者
歴代優勝者で2005年7月17日時点で満65歳以下の者
2005年6月5日時点で、世界ランキング上位50位以内の者
2004年欧州ツアー賞金ランキング上位20位以内の者
2003年から05年の欧州ツアーPGA選手権優勝者
2005年欧州ツアーPGA選手権終了時点の上位3位タイで、他のカテゴリーで資格を持たない賞金ランキング上位20位以内の者
2005年のブリティッシュ・マスターズ、フランスオープン、全米オープンの他のカテゴリーで資格を持たない上位2位タイで、2004年欧州ツアーメンバーであること。
2005年のスマーフィット・ヨーロピアン・オープンとバークレーズ・スコットランド・オープンの優勝者
2001年から05年までの全米オープン優勝者
2000年から05年までのマスターズ優勝者
2000年から05年までのマスターズ優勝者、2004年までの全米プロゴルフ選手権優勝者
2003年から05年のプレーヤーズ選手権優勝者
2004年USPGAツアー賞金ランキング上位20位までの者
2005年の「フェデックス・セントジュード・クラシック」終了時までの他のカテゴリーで出場資格を持たない賞金額上位3位までの者
2005年「ウェスタン・オープン」を含めたUSPGAチャンピオンシップまでの5試合で、他の出場資格を持たないUSPGAツアーの賞金額上位2位までの者
2005年ウェスタンオープンと2005年「ジョンディア・クラシック」で、他の出場資格を持たないカテゴリー15の上位者
2004年ライダーカップメンバー(米国チーム、欧州チーム代表選手)
2004年アジアン・ツアー賞金ランキング1位の者
2004年オーストラレーシア・ツアーの上位2位までの者
2004〜2005年シーズン、南アフリカ・サンシャインツアーの賞金ランキング1位の者
2004年カナディアン・オープン優勝者
2004年日本オープン優勝者
2004年日本ゴルフツアー賞金ランキングで、他のカテゴリーで出場資格を持たない上位2位までの者
2005年ミズノオープンで、他のカテゴリーで出場資格を持たない上位4位までの者
2005年のミズノオープンを含む、日本ツアー公式賞金累積上位24名のうち他のカテゴリーで出場資格を持たない上位2位までの者
2004年全英シニアオープン優勝者
2005年アマチュアチャンピオン優勝者
2004年全米アマチュア選手権優勝者
2004年欧州アマチュア選手権優勝者
記録
最多優勝回数:6回,ハリー・バードン(1896年,1898年,1899年,1903年,1911年,1914年)
最多2位回数:7回,ジャック・ニクラス(1964年,1967年,1968年,1972年,1976年,1977年,1979年)
最多連続優勝:4回,トム・モリス・ジュニア(1868年,1869年,1870年,1872年)
最年少優勝者:トム・モリス・ジュニア(17歳5ヶ月8日),1868年
最年長優勝者:トム・モリス・シニア(46歳99日),1867年
72ホールの最高スコア:267,グレグ・ノーマン(66-68-69-64),1993年
日本人選手の最高位:4位,倉本昌弘,1982年
歴代優勝者
1860年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1861年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1862年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1863年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1864年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1865年:アンドリュー・ストラス(プレストウィック)
1866年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1867年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1868年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1869年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1870年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1871年:中止
1872年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1873年:トム・キッド(セント・アンドリュース)
1874年:マンゴ・パーク(マッセルバーフ)
1875年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1876年:ロバート・マーティン(セント・アンドリュース)
1877年:ジェミー・アンダーソン(マッセルバーフ)
1878年:ジェミー・アンダーソン(プレストウィック)
1879年:ジェミー・アンダーソン(セント・アンドリュース)
1880年:ロバート・ファーガソン(マッセルバーフ)
1881年:ロバート・ファーガソン(プレストウィック)
1882年:ロバート・ファーガソン(セント・アンドリュース)
1883年:ウィリー・ファニー(マッセルバーフ)
1884年:ジャック・シンプソン(プレストウィック)
1885年:ボブ・マーティン(セント・アンドリュース)
1886年:デビッド・ブラウン(マッセルバーフ)
1887年:ウィリー・パーク・ジュニア(プレストウィック)
1888年:ジャック・バーンズ(セント・アンドリュース)
1889年:ウィリー・パーク・ジュニア(マッセルバーフ)
1890年:ジョン・ボール(プレストウィック)
1891年:ヒュー・カーカルディ(セント・アンドリュース)
1892年:ハロルド・H・ヒルトン(ミュアフィールド)
1893年:ウィリアム・オークタロニー(プレストウィック)
1894年:ジョン・H・テイラー(サンドウィッチ)
1895年:ジョン・H・テイラー(セント・アンドリュース)
1896年:ハリー・バードン(ミュアフィールド)
1897年:ハロルド・H・ヒルトン(ホイレイク)
1898年:ハリー・バードン(プレストウィック)
1899年:ハリー・バードン(サンドウィッチ)
1900年:ジョン・H・テイラー(セント・アンドリュース)
1901年:ジェームズ・ブレイド(ミュアフィールド)
1902年:アレキサンダー・ハード(ホイレイク)
1903年:ハリー・バードン(プレストウィック)
1904年:ジャック・ホワイト(サンドウィッチ)
1905年:ジェームズ・ブレイド(セント・アンドリュース)
1906年:ジェームズ・ブレイド(ミュアフィールド)
1907年:アーノード・マッシー(ホイレイク)
1908年:ジェームズ・ブレイド(プレストウィック)
1909年:ジョン・H・テイラー(ディール)
1910年:ジェームズ・ブレイド(セント・アンドリュース)
1911年:ハリー・バードン(サンドウィッチ)
1912年:エドワード・レイ(ミュアフィールド)
1913年:ジョン・H・テイラー(ホイレイク)
1914年:ハリー・バードン(プレストウィック)
1915年-1919年 第一次世界大戦のためトーナメント中止
1920年:ジョージ・ダンカン(ディール)
1921年:ジョック・ハッチソン(セント・アンドリュース)
1922年:ウォルター・ヘーゲン(サンドウィッチ)
1923年:アーサー・G・ヘイバース(トルーン)
1924年:ウォルター・ヘーゲン(ホイレイク)
1925年:ジム・M・バーンズ(プレストウィック)
1926年:ボビー・ジョーンズ(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1927年:ボビー・ジョーンズ(セント・アンドリュース)
1928年:ウォルター・ヘーゲン(サンドウィッチ)
1929年:ウォルター・ヘーゲン(ミュアフィールド)
1930年:ボビー・ジョーンズ(ホイレイク)
1931年:トミー・D・アーマー(カーヌスティ)
1932年:ジーン・サラゼン(サンドウィッチ)
1933年:デニー・シュート(セント・アンドリュース)
1934年:ヘンリー・コットン(サンドウィッチ)
1935年:アルフ・ペリー(ミュアフィールド)
1936年:アルフ・パジャム(ホイレイク)
1937年:ヘンリー・コットン(カーヌスティ)
1938年:レッグ・ホイットコーム(サンドウィッチ)
1939年:リチャード・バートン(セント・アンドリュース)
1940年-1945年 第二次世界大戦のためトーナメント中止
1946年:サム・スニード(セント・アンドリュース)
1947年:フレッド・デイリー(ホイレイク)
1948年:ヘンリー・コットン(ミュアフィールド)
1949年:ボビー・ロック(サンドウィッチ)
1950年:ボビー・ロック(トルーン)
1951年:マックス・フォークナー(ロイヤルポートラッシュ)
1952年:ボビー・ロック(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1953年:ベン・ホーガン(カーヌスティ)
1954年:ピーター・トムソン(バークデール)
1955年:ピーター・トムソン(セント・アンドリュース)
1956年:ピーター・トムソン(ホイレイク)
1957年:ボビー・ロック(セント・アンドリュース)
1958年:ピーター・トムソン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1959年:ゲーリー・プレーヤー(ミュアフィールド)
1960年:ケル・ネーグル(セント・アンドリュース)
1961年:アーノルド・パーマー(バークデール)
1962年:アーノルド・パーマー(トルーン)
1963年:ボブ・チャールズ(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1964年:トニー・レマ(セント・アンドリュース)
1965年:ピーター・トムソン(ロイヤルバークデール)
1966年:ジャック・ニクラス(ミュアフィールド)
1967年:ロベルト・デ・ビセンゾ(ホイレイク)
1968年:ゲーリー・プレーヤー(カーヌスティ)
1969年:トニー・ジャクリン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1970年:ジャック・ニクラス(セント・アンドリュース)
1971年:リー・トレビノ(ロイヤルバークデール)
1972年:リー・トレビノ(ミュアフィールド)
1973年:トム・ワイスコフ(ロイヤルトルーン)
1974年:ゲーリー・プレーヤー(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1975年:トム・ワトソン(カーヌスティ)
1976年:ジョニー・ミラー(ロイヤルバークデール)
1977年:トム・ワトソン(ターンベリー)
1978年:ジャック・ニクラス(セント・アンドリュース)
1979年:セベ・バレステロス(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1980年:トム・ワトソン(ミュアフィールド)
1981年:ビル・ロジャース(ロイヤルセントジョージズ)
1982年:トム・ワトソン(ロイヤルトルーン)
1983年:トム・ワトソン(ロイヤルバークデール)
1984年:セベ・バレステロス(セント・アンドリュース)
1985年:サンディ・ライル(ロイヤルセントジョージズ)
1986年:グレグ・ノーマン(ターンベリー)
1987年:ニック・ファルド(ミュアフィールド)
1988年:セベ・バレステロス(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1989年:マーク・カルカベッキア(ロイヤルトルーン)
1990年:ニック・ファルド(セント・アンドリュース)
1991年:イアン・ベーカーフィンチ(ロイヤルバークデール)
1992年:ニック・ファルド(ミュアフィールド)
1993年:グレグ・ノーマン(ロイヤルセントジョージズ)
1994年:ニック・プライス(ターンベリー)
1995年:ジョン・デーリー(セント・アンドリュース)
1996年:トム・レーマン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1997年:ジャスティン・レナード(ロイヤルトルーン)
1998年:マーク・オメーラ(ロイヤルバークデール)
1999年:ポール・ローリー(カーヌスティ)
2000年:タイガー・ウッズ(セント・アンドリュース)
2001年:デビッド・デュバル(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
2002年:アーニー・エルス(ミュアフィールド)
2003年:ベン・カーティス(ロイヤルセントジョージズ)
2004年:トッド・ハミルトン(ロイヤルトルーン)
2005年:タイガー・ウッズ(セント・アンドリュース)
2006年:タイガー・ウッズ(ロイヤル・リバプール)
日本代表選手選考会
毎年5〜6月に開かれる日本ゴルフツアー機構公認トーナメント大会(日本プロゴルフ選手権大会、マンシングウェアオープン KSBカップ、三菱ダイヤモンドカップゴルフ、JCBクラシック仙台、マンダム・ルシード よみうりオープンゴルフトーナメント、全英への道 ミズノオープンゴルフトーナメント)を「全英オープン日本代表選手選考会」と位置づけて開催している。
先述各大会に於ける獲得賞金ランキングの上位2名、並びにミズノオープンの上位4選手(何れもすでに当大会出場資格を獲得している選手を除く)に対して当大会の出場資格を獲得できる。
参考 その他の日本代表有資格選手
当該年度5月末までの世界ランキング上位50位までの選手
前年度の日本オープンゴルフ選手権競技優勝選手
前年度の日本ゴルフツアー機構賞金ランキング上位2位までの選手
他のメジャー大会に比べて、日本選手が出場する人数が多いが、これは、長年に渡り長時間中継し、莫大な放映権料を払っているテレビ朝日に対する見返りであることは明らかである。しかし、毎年のように成績がふるわないため、他の国のツアー側からは不満がくすぶっている。
TV放送
日本
日本ではテレビ朝日系列で地上波独占放送している。放送は第1日と第2日は木曜・金曜23:10〜28:00、第3日は土曜23:00〜27:00、最終日は21:00〜26:30(但し、土日の決勝ラウンドに関しては最終組の競技終了・優勝者が決まるまで延長して放送される。)その為、木曜のネオバラエティ枠(現在は「アメトーーク!」)、金曜ナイトドラマ、「SmaSTATION」、「日曜洋画劇場」「素敵な宇宙船地球号」といったネット番組などは休止している。
また土日の決勝ラウンド内では一旦中断し、ANNニュースを放送している。
1998年〜2002年までは土日の決勝ラウンドは2部構成となったが、2002年の第131回の最終日に丸山茂樹が一時首位に立ったパッティングの瞬間に一旦番組を終了し「ANNニュース」と「大相撲ダイジェスト」を放送したが、中断の間に順位が落ちたため、視聴者から苦情・抗議の電話などが殺到、また久米宏も週明けの「ニュースステーション」において局に対し、この年のゲストビートたけしもフジテレビのたけしメインの深夜番組でも苦言を呈した。
そのため、2003年から土日の決勝ラウンドの編成がこれまでの2部構成から現在の1部統一に変わった経緯に至った。また、1999年〜2003年までは「土曜ワイド劇場」は90分の編集版の後22:30から放送された。(1998年は通常放送で1時間前倒しして20:00から、2003年は世界水泳・シンクロチーム決勝の為90分の編集版として21:30から放送した。)
また、日曜日が「選挙STATION」(久米宏時代)編成された時は23:00や深夜0:30に開始した年もあった。年によってゲストとして有名人が出演することもあり、過去には長嶋茂雄、谷村新司、武田鉄矢、浜田雅功、KONISHIKI、小倉智昭(ゲストと言うより司会だった)、ビートたけし(放送では北野武として出演 但し最終日のみの出演)が出演していた。また出演時にたけしがポロッとこぼしていたが、放送翌日打ち上げを兼ねて、開催コースをラウンドするのが慣行になっているようである。
2004年・2005年は松岡修造がリポーター役として参加(3日目は帰京のため参加せず代わってテレビ朝日のアナウンサーが担当する)、最終日は長島三奈が松岡と一緒に東京スタジオの進行として参加していた。2006年は松岡は大会4日間を通して現地の滞在、特設スタジオを設置した。
2003年までは最終日後日の月曜夜のネオバラエティ枠で「最終日ハイライト」を放送した。
実況アナウンサーは局アナの森下桂吉が担当しているが、2001年は森下が「世界水泳2001FUKUOKA」のシンクロの実況を勤めた為に、予選2日間を田原浩史アナ(森下とは6年後輩)・決勝2日間を渡辺宜嗣アナ(森下とは5年先輩)が担当した。2003年は森下アナが担当したが大会終了後に大会会場に出向く形になった。(なおこの年のシンクロの実況はすべて角澤照治アナが担当した。)
近年では、解説に青木功と戸張捷(ゴルフツアープロデューサー)、ラウンド解説に羽川豊を据える体勢が恒例となっている(かつては大町昭義もラウンド解説を担当していた)。尚、3日目、最終日になると、青木が気まぐれでラウンド解説に向かうことがあり、その際にはラウンド解説の羽川がスタジオに戻って解説を行う。
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4大メジャートーナメントの中で最も歴史のある大会で、2006年で135回目を迎える。日本のプロスポーツの中で最古の大会は中央競馬の天皇賞であるが(2006年5月現在、春の京都競馬場開催で133回目、秋の東京競馬場開催で134回目(予定)。なお1944~1946年は戦争のため中止)、それを上回る回数になる。
第1回は1860年にプレスト・ウィックで開かれ、ウィリー・パーク選手が優勝した。それ以後は1871年、1915~1919年、1940~1945年の戦争などによる中止をはさみながら、毎年開催する地区を変えて実施している。なお開催ゴルフ場についてはシーサイドリンクス(海岸に立地する場)に限るという不文律があり、また5年に1回はゴルフの聖地といわれているセント・アンドリュース(R&A本部がある)での開催が慣例となっている。
(本来セント・アンドリュースでは2006年開催予定の大会が、ジャック・ニクラウス選手のメジャートーナメント完全引退試合と定めたことから、1年前倒して2005年に開いた。)
プレーオフは一般的な最初からのサドンデスではなく、4ホールのストロークによって争われ、それでも決着が付かなければサドンデスである。以前は翌日18ホールのストローク・プレーだった。(すなわち、もう1ラウンドを回ること。全米オープンでは現在も採用されている。)
優勝者には「クラレット・ジャグ」と呼ばれる優勝トロフィーが贈られる。
2005年大会出場資格
2004年全英オープン上位10位タイまでの者
歴代優勝者で2005年7月17日時点で満65歳以下の者
2005年6月5日時点で、世界ランキング上位50位以内の者
2004年欧州ツアー賞金ランキング上位20位以内の者
2003年から05年の欧州ツアーPGA選手権優勝者
2005年欧州ツアーPGA選手権終了時点の上位3位タイで、他のカテゴリーで資格を持たない賞金ランキング上位20位以内の者
2005年のブリティッシュ・マスターズ、フランスオープン、全米オープンの他のカテゴリーで資格を持たない上位2位タイで、2004年欧州ツアーメンバーであること。
2005年のスマーフィット・ヨーロピアン・オープンとバークレーズ・スコットランド・オープンの優勝者
2001年から05年までの全米オープン優勝者
2000年から05年までのマスターズ優勝者
2000年から05年までのマスターズ優勝者、2004年までの全米プロゴルフ選手権優勝者
2003年から05年のプレーヤーズ選手権優勝者
2004年USPGAツアー賞金ランキング上位20位までの者
2005年の「フェデックス・セントジュード・クラシック」終了時までの他のカテゴリーで出場資格を持たない賞金額上位3位までの者
2005年「ウェスタン・オープン」を含めたUSPGAチャンピオンシップまでの5試合で、他の出場資格を持たないUSPGAツアーの賞金額上位2位までの者
2005年ウェスタンオープンと2005年「ジョンディア・クラシック」で、他の出場資格を持たないカテゴリー15の上位者
2004年ライダーカップメンバー(米国チーム、欧州チーム代表選手)
2004年アジアン・ツアー賞金ランキング1位の者
2004年オーストラレーシア・ツアーの上位2位までの者
2004〜2005年シーズン、南アフリカ・サンシャインツアーの賞金ランキング1位の者
2004年カナディアン・オープン優勝者
2004年日本オープン優勝者
2004年日本ゴルフツアー賞金ランキングで、他のカテゴリーで出場資格を持たない上位2位までの者
2005年ミズノオープンで、他のカテゴリーで出場資格を持たない上位4位までの者
2005年のミズノオープンを含む、日本ツアー公式賞金累積上位24名のうち他のカテゴリーで出場資格を持たない上位2位までの者
2004年全英シニアオープン優勝者
2005年アマチュアチャンピオン優勝者
2004年全米アマチュア選手権優勝者
2004年欧州アマチュア選手権優勝者
記録
最多優勝回数:6回,ハリー・バードン(1896年,1898年,1899年,1903年,1911年,1914年)
最多2位回数:7回,ジャック・ニクラス(1964年,1967年,1968年,1972年,1976年,1977年,1979年)
最多連続優勝:4回,トム・モリス・ジュニア(1868年,1869年,1870年,1872年)
最年少優勝者:トム・モリス・ジュニア(17歳5ヶ月8日),1868年
最年長優勝者:トム・モリス・シニア(46歳99日),1867年
72ホールの最高スコア:267,グレグ・ノーマン(66-68-69-64),1993年
日本人選手の最高位:4位,倉本昌弘,1982年
歴代優勝者
1860年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1861年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1862年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1863年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1864年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1865年:アンドリュー・ストラス(プレストウィック)
1866年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1867年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
1868年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1869年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1870年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1871年:中止
1872年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
1873年:トム・キッド(セント・アンドリュース)
1874年:マンゴ・パーク(マッセルバーフ)
1875年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
1876年:ロバート・マーティン(セント・アンドリュース)
1877年:ジェミー・アンダーソン(マッセルバーフ)
1878年:ジェミー・アンダーソン(プレストウィック)
1879年:ジェミー・アンダーソン(セント・アンドリュース)
1880年:ロバート・ファーガソン(マッセルバーフ)
1881年:ロバート・ファーガソン(プレストウィック)
1882年:ロバート・ファーガソン(セント・アンドリュース)
1883年:ウィリー・ファニー(マッセルバーフ)
1884年:ジャック・シンプソン(プレストウィック)
1885年:ボブ・マーティン(セント・アンドリュース)
1886年:デビッド・ブラウン(マッセルバーフ)
1887年:ウィリー・パーク・ジュニア(プレストウィック)
1888年:ジャック・バーンズ(セント・アンドリュース)
1889年:ウィリー・パーク・ジュニア(マッセルバーフ)
1890年:ジョン・ボール(プレストウィック)
1891年:ヒュー・カーカルディ(セント・アンドリュース)
1892年:ハロルド・H・ヒルトン(ミュアフィールド)
1893年:ウィリアム・オークタロニー(プレストウィック)
1894年:ジョン・H・テイラー(サンドウィッチ)
1895年:ジョン・H・テイラー(セント・アンドリュース)
1896年:ハリー・バードン(ミュアフィールド)
1897年:ハロルド・H・ヒルトン(ホイレイク)
1898年:ハリー・バードン(プレストウィック)
1899年:ハリー・バードン(サンドウィッチ)
1900年:ジョン・H・テイラー(セント・アンドリュース)
1901年:ジェームズ・ブレイド(ミュアフィールド)
1902年:アレキサンダー・ハード(ホイレイク)
1903年:ハリー・バードン(プレストウィック)
1904年:ジャック・ホワイト(サンドウィッチ)
1905年:ジェームズ・ブレイド(セント・アンドリュース)
1906年:ジェームズ・ブレイド(ミュアフィールド)
1907年:アーノード・マッシー(ホイレイク)
1908年:ジェームズ・ブレイド(プレストウィック)
1909年:ジョン・H・テイラー(ディール)
1910年:ジェームズ・ブレイド(セント・アンドリュース)
1911年:ハリー・バードン(サンドウィッチ)
1912年:エドワード・レイ(ミュアフィールド)
1913年:ジョン・H・テイラー(ホイレイク)
1914年:ハリー・バードン(プレストウィック)
1915年-1919年 第一次世界大戦のためトーナメント中止
1920年:ジョージ・ダンカン(ディール)
1921年:ジョック・ハッチソン(セント・アンドリュース)
1922年:ウォルター・ヘーゲン(サンドウィッチ)
1923年:アーサー・G・ヘイバース(トルーン)
1924年:ウォルター・ヘーゲン(ホイレイク)
1925年:ジム・M・バーンズ(プレストウィック)
1926年:ボビー・ジョーンズ(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1927年:ボビー・ジョーンズ(セント・アンドリュース)
1928年:ウォルター・ヘーゲン(サンドウィッチ)
1929年:ウォルター・ヘーゲン(ミュアフィールド)
1930年:ボビー・ジョーンズ(ホイレイク)
1931年:トミー・D・アーマー(カーヌスティ)
1932年:ジーン・サラゼン(サンドウィッチ)
1933年:デニー・シュート(セント・アンドリュース)
1934年:ヘンリー・コットン(サンドウィッチ)
1935年:アルフ・ペリー(ミュアフィールド)
1936年:アルフ・パジャム(ホイレイク)
1937年:ヘンリー・コットン(カーヌスティ)
1938年:レッグ・ホイットコーム(サンドウィッチ)
1939年:リチャード・バートン(セント・アンドリュース)
1940年-1945年 第二次世界大戦のためトーナメント中止
1946年:サム・スニード(セント・アンドリュース)
1947年:フレッド・デイリー(ホイレイク)
1948年:ヘンリー・コットン(ミュアフィールド)
1949年:ボビー・ロック(サンドウィッチ)
1950年:ボビー・ロック(トルーン)
1951年:マックス・フォークナー(ロイヤルポートラッシュ)
1952年:ボビー・ロック(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1953年:ベン・ホーガン(カーヌスティ)
1954年:ピーター・トムソン(バークデール)
1955年:ピーター・トムソン(セント・アンドリュース)
1956年:ピーター・トムソン(ホイレイク)
1957年:ボビー・ロック(セント・アンドリュース)
1958年:ピーター・トムソン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1959年:ゲーリー・プレーヤー(ミュアフィールド)
1960年:ケル・ネーグル(セント・アンドリュース)
1961年:アーノルド・パーマー(バークデール)
1962年:アーノルド・パーマー(トルーン)
1963年:ボブ・チャールズ(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1964年:トニー・レマ(セント・アンドリュース)
1965年:ピーター・トムソン(ロイヤルバークデール)
1966年:ジャック・ニクラス(ミュアフィールド)
1967年:ロベルト・デ・ビセンゾ(ホイレイク)
1968年:ゲーリー・プレーヤー(カーヌスティ)
1969年:トニー・ジャクリン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1970年:ジャック・ニクラス(セント・アンドリュース)
1971年:リー・トレビノ(ロイヤルバークデール)
1972年:リー・トレビノ(ミュアフィールド)
1973年:トム・ワイスコフ(ロイヤルトルーン)
1974年:ゲーリー・プレーヤー(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1975年:トム・ワトソン(カーヌスティ)
1976年:ジョニー・ミラー(ロイヤルバークデール)
1977年:トム・ワトソン(ターンベリー)
1978年:ジャック・ニクラス(セント・アンドリュース)
1979年:セベ・バレステロス(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1980年:トム・ワトソン(ミュアフィールド)
1981年:ビル・ロジャース(ロイヤルセントジョージズ)
1982年:トム・ワトソン(ロイヤルトルーン)
1983年:トム・ワトソン(ロイヤルバークデール)
1984年:セベ・バレステロス(セント・アンドリュース)
1985年:サンディ・ライル(ロイヤルセントジョージズ)
1986年:グレグ・ノーマン(ターンベリー)
1987年:ニック・ファルド(ミュアフィールド)
1988年:セベ・バレステロス(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1989年:マーク・カルカベッキア(ロイヤルトルーン)
1990年:ニック・ファルド(セント・アンドリュース)
1991年:イアン・ベーカーフィンチ(ロイヤルバークデール)
1992年:ニック・ファルド(ミュアフィールド)
1993年:グレグ・ノーマン(ロイヤルセントジョージズ)
1994年:ニック・プライス(ターンベリー)
1995年:ジョン・デーリー(セント・アンドリュース)
1996年:トム・レーマン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
1997年:ジャスティン・レナード(ロイヤルトルーン)
1998年:マーク・オメーラ(ロイヤルバークデール)
1999年:ポール・ローリー(カーヌスティ)
2000年:タイガー・ウッズ(セント・アンドリュース)
2001年:デビッド・デュバル(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
2002年:アーニー・エルス(ミュアフィールド)
2003年:ベン・カーティス(ロイヤルセントジョージズ)
2004年:トッド・ハミルトン(ロイヤルトルーン)
2005年:タイガー・ウッズ(セント・アンドリュース)
2006年:タイガー・ウッズ(ロイヤル・リバプール)
日本代表選手選考会
毎年5〜6月に開かれる日本ゴルフツアー機構公認トーナメント大会(日本プロゴルフ選手権大会、マンシングウェアオープン KSBカップ、三菱ダイヤモンドカップゴルフ、JCBクラシック仙台、マンダム・ルシード よみうりオープンゴルフトーナメント、全英への道 ミズノオープンゴルフトーナメント)を「全英オープン日本代表選手選考会」と位置づけて開催している。
先述各大会に於ける獲得賞金ランキングの上位2名、並びにミズノオープンの上位4選手(何れもすでに当大会出場資格を獲得している選手を除く)に対して当大会の出場資格を獲得できる。
参考 その他の日本代表有資格選手
当該年度5月末までの世界ランキング上位50位までの選手
前年度の日本オープンゴルフ選手権競技優勝選手
前年度の日本ゴルフツアー機構賞金ランキング上位2位までの選手
他のメジャー大会に比べて、日本選手が出場する人数が多いが、これは、長年に渡り長時間中継し、莫大な放映権料を払っているテレビ朝日に対する見返りであることは明らかである。しかし、毎年のように成績がふるわないため、他の国のツアー側からは不満がくすぶっている。
TV放送
日本
日本ではテレビ朝日系列で地上波独占放送している。放送は第1日と第2日は木曜・金曜23:10〜28:00、第3日は土曜23:00〜27:00、最終日は21:00〜26:30(但し、土日の決勝ラウンドに関しては最終組の競技終了・優勝者が決まるまで延長して放送される。)その為、木曜のネオバラエティ枠(現在は「アメトーーク!」)、金曜ナイトドラマ、「SmaSTATION」、「日曜洋画劇場」「素敵な宇宙船地球号」といったネット番組などは休止している。
また土日の決勝ラウンド内では一旦中断し、ANNニュースを放送している。
1998年〜2002年までは土日の決勝ラウンドは2部構成となったが、2002年の第131回の最終日に丸山茂樹が一時首位に立ったパッティングの瞬間に一旦番組を終了し「ANNニュース」と「大相撲ダイジェスト」を放送したが、中断の間に順位が落ちたため、視聴者から苦情・抗議の電話などが殺到、また久米宏も週明けの「ニュースステーション」において局に対し、この年のゲストビートたけしもフジテレビのたけしメインの深夜番組でも苦言を呈した。
そのため、2003年から土日の決勝ラウンドの編成がこれまでの2部構成から現在の1部統一に変わった経緯に至った。また、1999年〜2003年までは「土曜ワイド劇場」は90分の編集版の後22:30から放送された。(1998年は通常放送で1時間前倒しして20:00から、2003年は世界水泳・シンクロチーム決勝の為90分の編集版として21:30から放送した。)
また、日曜日が「選挙STATION」(久米宏時代)編成された時は23:00や深夜0:30に開始した年もあった。年によってゲストとして有名人が出演することもあり、過去には長嶋茂雄、谷村新司、武田鉄矢、浜田雅功、KONISHIKI、小倉智昭(ゲストと言うより司会だった)、ビートたけし(放送では北野武として出演 但し最終日のみの出演)が出演していた。また出演時にたけしがポロッとこぼしていたが、放送翌日打ち上げを兼ねて、開催コースをラウンドするのが慣行になっているようである。
2004年・2005年は松岡修造がリポーター役として参加(3日目は帰京のため参加せず代わってテレビ朝日のアナウンサーが担当する)、最終日は長島三奈が松岡と一緒に東京スタジオの進行として参加していた。2006年は松岡は大会4日間を通して現地の滞在、特設スタジオを設置した。
2003年までは最終日後日の月曜夜のネオバラエティ枠で「最終日ハイライト」を放送した。
実況アナウンサーは局アナの森下桂吉が担当しているが、2001年は森下が「世界水泳2001FUKUOKA」のシンクロの実況を勤めた為に、予選2日間を田原浩史アナ(森下とは6年後輩)・決勝2日間を渡辺宜嗣アナ(森下とは5年先輩)が担当した。2003年は森下アナが担当したが大会終了後に大会会場に出向く形になった。(なおこの年のシンクロの実況はすべて角澤照治アナが担当した。)
近年では、解説に青木功と戸張捷(ゴルフツアープロデューサー)、ラウンド解説に羽川豊を据える体勢が恒例となっている(かつては大町昭義もラウンド解説を担当していた)。尚、3日目、最終日になると、青木が気まぐれでラウンド解説に向かうことがあり、その際にはラウンド解説の羽川がスタジオに戻って解説を行う。
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| ゴルフまめ知識
全米オープンゴルフ
全米オープンゴルフとはゴルフの世界4大メジャートーナメント大会の一つっである。正式名称はUnited States Open Golf Tournament。アメリカのゴルフ競技団体United States Golf Association(全米ゴルフ協会)主催で、毎年6月中旬に開催する地区を毎年変えて実施している。
第1回は1895年に開催され、途中戦争で中断された時期があった。2000年の第100回大会では、タイガー・ウッズが初の全米王者に輝いた。ウッズは2002年の第102回大会も制している。
この大会にはアメリカ国内の各地で1次・2次予選会があり、最終予選を通過した選手が出場資格を得られることから“オープン”と呼ばれる。地区予選会に出場するアマチュア選手のハンディキャップは「1.4以下」と定められている。彼らが世界各地の賞金ランキング上位選手や、世界ランキング上位選手たちと互角に渡り合って戦う姿は、全米オープン最大の見どころのひとつと言えよう。
プロゴルファーに匹敵する力量を持ちながら、あえてプロの道を選ばずにアマチュアゴルファーの道を貫くベテランのアマチュア選手たちを見ることもできる。
全米オープンの開催コースは、大会の5年以上前から定められ、それに合わせてコース設定を調整していく。メジャー大会の中でも、とりわけ選手たちの「忍耐力」が試される大会と言えるだろう。
2005年本選出場資格
セクショナル予選通過者
過去10年の全米オープン優勝者
2004全米アマチュア選手権の優勝者、および2位
過去5年のマスターズ優勝者
過去5年の全英オープン優勝者
過去5年のPGA選手権大会優勝者
2004全米シニアオープン優勝者
2005ザ・プレーヤーズ選手権優勝者
2004全米オープン上位15位(タイ)の者
2004USPGAツアー賞金ランキング上位30名
2004ヨーロピアンツアー賞金ランキング上位15名
2005年USPGAツアー賞金ランキング上位10名(5月30日現在)
2005年5月30日現在の世界ランキング上位50名
2004/4/28〜2005/6/5までのオフィシャルPGAツアーの複数試合優勝者
USGAエグゼクティブ・コミティーの選んだインターナショナルプレーヤー
2004年の日本ツアー賞金ランキング上位2名(ただし、世界ランキングで75位以内が条件)
2000-2004年のオーストラリアPGAツアーの賞金ランキング上位2名(ただし、世界ランキングで75位以内が条件)
2005年セクショナル予選(最終予選、2次予選)出場資格
地区予選通過者
2004年全米オープン本選決勝進出者
2004年マスターズ、全英オープン、PGA選手権大会(全米プロゴルフ選手権)30位タイ以内
2004年USPGAツアー賞金ランキング125位以内、過去3年間USPGAツアー賞金ランキング10位以内、過去5年間複数年度USPGAツアー賞金ランキング125位以内
2004年度,2005年度(4月27日まで)日本ツアー、アジアツアー、オーストラリアツアー、ヨーロッパツアーで1勝以上
2005年USPGA賞金ランキング100位以内(4月27日まで)
2004年世界ランキング最終ランク75位以内
2005年世界ランキング100位以内(4月27日まで)
記録
最多優勝回数:4回,ウィリー・アンダーソン(1901年,1903年,1904年,1905年),ボビー・ジョーンズ(1923年,1926年,1929年,1930年),ベン・ホーガン(1948年,1950年,1951年,1953年),ジャック・ニクラス(1962年,1967年,1972年,1980年)
最多連続優勝:3回,ウィリー・アンダーソン(1903年,1904年,1905年)
最多2位回数:4回,ボビー・ジョーンズ(1922年,1924年,1925年,1928年),サム・スニード(1937年,1947年,1949年,1953年),アーノルド・パーマー(1962年,1963年,1966年,1967年),ジャック・ニクラス(1960年,1968年,1971年,1982年)
最多トップ10回数:18回,ジャック・ニクラス
最年少優勝者:ジョン・マクダーモット(19歳10ヶ月14日),1911年
最年長優勝者:ヘール・アーウィン(45歳15日),1990年
最年長予選通過者:サム・スニード(61歳),1973年
72ホールの最高スコア:272,ジャック・ニクラス(63-71-70-68)1980年,リー・ジャンセン(67-67-69-69)1993年,タイガー・ウッズ(65-69-71-67)2000年
日本人選手の最高位:2位,青木功,1980年(2位フィニッシュの歴代最高スコア)
歴代優勝者
1895年:ホーレス・ローリンズ(ニューポートゴルフクラブ,ロードアイランド州)
1896年:ジェームス・ファウリス(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1897年:ジョー・ロイド(シカゴゴルフクラブ,イリノイ州)
1898年:フレッド・ハード(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1899年:ウィリー・スミス(バルティモアカントリークラブ,メリーランド州)
1900年:ハリー・バードン(シカゴゴルフクラブ,イリノイ州)
1901年:ウィリー・アンダーソン(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1902年:ローリー・オークターローニー(ガーデンシティーゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1903年:ウィリー・アンダーソン(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1904年:ウィリー・アンダーソン(グレンビュークラブ,イリノイ州)
1905年:ウィリー・アンダーソン(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1906年:アレックス・スミス(オンウェントシアクラブ,イリノイ州)
1907年:アレックス・ロス(フィラデルフィアクリケットクラブ,ペンシルバニア州)
1908年:フレッド・マクレオド(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1909年:ジョージ・サージェント(イングルウッド,ニュージャージー州)
1910年:アレックス・スミス(フィラデルフィアクリケットクラブ,ペンシルバニア州)
1911年:ジョン・マクダーモット(シカゴゴルフクラブ,イリノイ州)
1912年:ジョン・マクダーモット(カントリークラブオブバッファロー,ニューヨーク州)
1913年:フランシス・ウィメット(ザ・カントリークラブ,マサチューセッツ州)
1914年:ウォルター・ヘーゲン(ミッドロシアンカントリークラブ,イリノイ州)
1915年:ジェローム・トラバース(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1916年:チャールズ・エバンズ・ジュニア(ミニカーダクラブ,ミネソタ州)
1917年-1918年 第一次世界大戦のためトーナメント中止
1919年:ウォルター・ヘーゲン(ブラエバーンカントリークラブ,マサチューセッツ州)
1920年:テッド・レイ(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1921年:ジム・バーンズ(コロンビアカントリークラブ,メリーランド州)
1922年:ジーン・サラゼン(スコッキーカントリークラブ,イリノイ州)
1923年:ボビー・ジョーンズ(インウッドカントリークラブ,ニューヨーク州)
1924年:シリル・ウォーカー(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1925年:ウィリー・マクファーレン(ウォーセスターカントリークラブ,マサチューセッツ州)
1926年:ボビー・ジョーンズ(セシオットカントリークラブ,オハイオ州)
1927年:トミー・アーマー(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1928年:ジョニー・ファレル(オリンピアフィールズカントリークラブ,イリノイ州)
1929年:ボビー・ジョーンズ(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1930年:ボビー・ジョーンズ(インターラッセンカントリークラブ,ミネソタ州)
1931年:ビリー・バーク(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1932年:ジーン・サラゼン(フレッシュメドウズカントリークラブ,ニューヨーク州)
1933年:ジョニー・グッドマン(ノースショアゴルフクラブ,イリノイ州)
1934年:オリン・デュトラ(メリオンクリケットクラブ,ペンシルバニア州)
1935年:サム・パークス(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1936年:トニー・マネロ(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1937年:ラルフ・ガルダール(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1938年:ラルフ・ガルダール(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1939年:バイロン・ネルソン(フィラデルフィアカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1940年:ローソン・リトル(カンタベリーゴルフクラブ,オハイオ州)
1941年:クレイグ・ウッド(コロニアルクラブ,テキサス州)
1942年-1945年 第二次世界大戦のためトーナメント中止
1946年:ロイド・マングラム(カンタベリーゴルフクラブ,オハイオ州)
1947年:ルー・ウォーシャム(セントルイスカントリークラブ,ミズーリ州)
1948年:ベン・ホーガン(リビエラカントリークラブ,カリフォルニア州)
1949年:ケリー・ミドルコフ(メダイナカントリークラブ,イリノイ州)
1950年:ベン・ホーガン(メリオンゴルフクラブ,ペンシルバニア州)
1951年:ベン・ホーガン(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1952年:ジュリアス・ボロス(ノースウッドクラブ,テキサス州)
1953年:ベン・ホーガン(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1954年:エド・ファーゴル(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1955年:ジャック・フレック(オリンピックカントリークラブ,カリフォルニア州)
1956年:ケリー・ミドルコフ(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
1957年:ディック・メイヤー(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1958年:トミー・ボルト(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1959年:ビリー・キャスパー(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1960年:アーノルド・パーマー(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1961年:ジーン・リトラー(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1962年:ジャック・ニクラス(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1963年:ジュリアス・ボロス(ザ・カントリークラブ,マサチューセッツ州)
1964年:ケン・ベンチュリー(コングレッショナルカントリークラブ,メリーランド州)
1965年:ゲーリー・プレーヤー(ベルリーブカントリークラブ,ミズーリ州)
1966年:ビリー・キャスパー(オリンピックカントリークラブ,カリフォルニア州)
1967年:ジャック・ニクラス(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1968年:リー・トレビノ(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
1969年:オービル・ムーディー(チャンピオンズゴルフクラブ,テキサス州)
1970年:トニー・ジャクリン(ヘーゼルタインナショナルゴルフクラブ,ミネソタ州)
1971年:リー・トレビノ(メリオンゴルフクラブ,ペンシルバニア州)
1972年:ジャック・ニクラス(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
1973年:ジョニー・ミラー(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1974年:ヘール・アーウィン(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1975年:ルー・グラハム(メダイナカントリークラブ,イリノイ州)
1976年:ジェリー・ペイト(アトランタアスレチッククラブ,ジョージア州)
1977年:ヒューバート・グリーン(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1978年:アンディ・ノース(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1979年:ヘール・アーウィン(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1980年:ジャック・ニクラス(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1981年:デビッド・グラハム(メリオンゴルフクラブ,ペンシルバニア州)
1982年:トム・ワトソン(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
1983年:ラリー・ネルソン(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1984年:ファジー・ゼラー(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1985年:アンディ・ノース(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1986年:レイモンド・フロイド(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1987年:スコット・シンプソン(オリンピックカントリークラブ,カリフォルニア州)
1988年:カーティス・ストレンジ(ザ・カントリークラブ,マサチューセッツ州)
1989年:カーティス・ストレンジ(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
1990年:ヘール・アーウィン(メダイナカントリークラブ,イリノイ州)
1991年:ペイン・スチュワート(ヘーゼルタインナショナルゴルフクラブ,ミネソタ州)
1992年:トム・カイト(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
1993年:リー・ジャンセン(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1994年:アーニー・エルス(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1995年:コーリー・ペイビン(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1996年:スティーブ・ジョーンズ(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1997年:アーニー・エルス(コングレッショナル,メリーランド州)
1998年:リー・ジャンセン(オリンピッククラブ,カリフォルニア州)
1999年:ペイン・スチュワート(パインハーストリゾートアンドカントリークラブ,ノースカロライナ州)
2000年:タイガー・ウッズ(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
2001年:レティーフ・グーセン(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
2002年:タイガー・ウッズ(ベスページステートパーク,ニューヨーク州)
2003年:ジム・フューリク(オリンピアフィールズカントリークラブ,イリノイ州)
2004年:レティーフ・グーセン(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
2005年:マイケル・キャンベル(パインハーストリゾートアンドカントリークラブ,ノースカロライナ州)
2006年:ジェフ・オギルビー(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
テレビジョン放送
日本
日本での地上波テレビ放送はテレビ朝日系列が1997年より「全米女子オープンゴルフ」「全米シニアオープンゴルフ」と同時期に放送開始していて、特に丸山茂樹が日本人最高の4位をマークした2004年の最終日の視聴率は早朝の放送にも関わらず9.2%をマークした。また、最終日では「スーパーモーニング」をネットしている山梨放送・北日本放送・福井放送・山陰放送※・高知放送・四国放送・宮崎放送※でも日本時間8:00から放送している。
※但し山陰放送と宮崎放送は日本時間8:30から放送している。
2005年以前まで土曜の午後に「予選ハイライト」・日曜の「サンデープレゼント」枠で「3日目ハイライト」・月曜のネオバラエティ枠で「最終日ハイライト」を放送したが、2006年度の放送はなし また、ゴルフネットワークでは独占生中継のため、テレビ朝日は時差放送となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1回は1895年に開催され、途中戦争で中断された時期があった。2000年の第100回大会では、タイガー・ウッズが初の全米王者に輝いた。ウッズは2002年の第102回大会も制している。
この大会にはアメリカ国内の各地で1次・2次予選会があり、最終予選を通過した選手が出場資格を得られることから“オープン”と呼ばれる。地区予選会に出場するアマチュア選手のハンディキャップは「1.4以下」と定められている。彼らが世界各地の賞金ランキング上位選手や、世界ランキング上位選手たちと互角に渡り合って戦う姿は、全米オープン最大の見どころのひとつと言えよう。
プロゴルファーに匹敵する力量を持ちながら、あえてプロの道を選ばずにアマチュアゴルファーの道を貫くベテランのアマチュア選手たちを見ることもできる。
全米オープンの開催コースは、大会の5年以上前から定められ、それに合わせてコース設定を調整していく。メジャー大会の中でも、とりわけ選手たちの「忍耐力」が試される大会と言えるだろう。
2005年本選出場資格
セクショナル予選通過者
過去10年の全米オープン優勝者
2004全米アマチュア選手権の優勝者、および2位
過去5年のマスターズ優勝者
過去5年の全英オープン優勝者
過去5年のPGA選手権大会優勝者
2004全米シニアオープン優勝者
2005ザ・プレーヤーズ選手権優勝者
2004全米オープン上位15位(タイ)の者
2004USPGAツアー賞金ランキング上位30名
2004ヨーロピアンツアー賞金ランキング上位15名
2005年USPGAツアー賞金ランキング上位10名(5月30日現在)
2005年5月30日現在の世界ランキング上位50名
2004/4/28〜2005/6/5までのオフィシャルPGAツアーの複数試合優勝者
USGAエグゼクティブ・コミティーの選んだインターナショナルプレーヤー
2004年の日本ツアー賞金ランキング上位2名(ただし、世界ランキングで75位以内が条件)
2000-2004年のオーストラリアPGAツアーの賞金ランキング上位2名(ただし、世界ランキングで75位以内が条件)
2005年セクショナル予選(最終予選、2次予選)出場資格
地区予選通過者
2004年全米オープン本選決勝進出者
2004年マスターズ、全英オープン、PGA選手権大会(全米プロゴルフ選手権)30位タイ以内
2004年USPGAツアー賞金ランキング125位以内、過去3年間USPGAツアー賞金ランキング10位以内、過去5年間複数年度USPGAツアー賞金ランキング125位以内
2004年度,2005年度(4月27日まで)日本ツアー、アジアツアー、オーストラリアツアー、ヨーロッパツアーで1勝以上
2005年USPGA賞金ランキング100位以内(4月27日まで)
2004年世界ランキング最終ランク75位以内
2005年世界ランキング100位以内(4月27日まで)
記録
最多優勝回数:4回,ウィリー・アンダーソン(1901年,1903年,1904年,1905年),ボビー・ジョーンズ(1923年,1926年,1929年,1930年),ベン・ホーガン(1948年,1950年,1951年,1953年),ジャック・ニクラス(1962年,1967年,1972年,1980年)
最多連続優勝:3回,ウィリー・アンダーソン(1903年,1904年,1905年)
最多2位回数:4回,ボビー・ジョーンズ(1922年,1924年,1925年,1928年),サム・スニード(1937年,1947年,1949年,1953年),アーノルド・パーマー(1962年,1963年,1966年,1967年),ジャック・ニクラス(1960年,1968年,1971年,1982年)
最多トップ10回数:18回,ジャック・ニクラス
最年少優勝者:ジョン・マクダーモット(19歳10ヶ月14日),1911年
最年長優勝者:ヘール・アーウィン(45歳15日),1990年
最年長予選通過者:サム・スニード(61歳),1973年
72ホールの最高スコア:272,ジャック・ニクラス(63-71-70-68)1980年,リー・ジャンセン(67-67-69-69)1993年,タイガー・ウッズ(65-69-71-67)2000年
日本人選手の最高位:2位,青木功,1980年(2位フィニッシュの歴代最高スコア)
歴代優勝者
1895年:ホーレス・ローリンズ(ニューポートゴルフクラブ,ロードアイランド州)
1896年:ジェームス・ファウリス(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1897年:ジョー・ロイド(シカゴゴルフクラブ,イリノイ州)
1898年:フレッド・ハード(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1899年:ウィリー・スミス(バルティモアカントリークラブ,メリーランド州)
1900年:ハリー・バードン(シカゴゴルフクラブ,イリノイ州)
1901年:ウィリー・アンダーソン(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1902年:ローリー・オークターローニー(ガーデンシティーゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1903年:ウィリー・アンダーソン(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1904年:ウィリー・アンダーソン(グレンビュークラブ,イリノイ州)
1905年:ウィリー・アンダーソン(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1906年:アレックス・スミス(オンウェントシアクラブ,イリノイ州)
1907年:アレックス・ロス(フィラデルフィアクリケットクラブ,ペンシルバニア州)
1908年:フレッド・マクレオド(マイオピアハントクラブ,マサチューセッツ州)
1909年:ジョージ・サージェント(イングルウッド,ニュージャージー州)
1910年:アレックス・スミス(フィラデルフィアクリケットクラブ,ペンシルバニア州)
1911年:ジョン・マクダーモット(シカゴゴルフクラブ,イリノイ州)
1912年:ジョン・マクダーモット(カントリークラブオブバッファロー,ニューヨーク州)
1913年:フランシス・ウィメット(ザ・カントリークラブ,マサチューセッツ州)
1914年:ウォルター・ヘーゲン(ミッドロシアンカントリークラブ,イリノイ州)
1915年:ジェローム・トラバース(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1916年:チャールズ・エバンズ・ジュニア(ミニカーダクラブ,ミネソタ州)
1917年-1918年 第一次世界大戦のためトーナメント中止
1919年:ウォルター・ヘーゲン(ブラエバーンカントリークラブ,マサチューセッツ州)
1920年:テッド・レイ(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1921年:ジム・バーンズ(コロンビアカントリークラブ,メリーランド州)
1922年:ジーン・サラゼン(スコッキーカントリークラブ,イリノイ州)
1923年:ボビー・ジョーンズ(インウッドカントリークラブ,ニューヨーク州)
1924年:シリル・ウォーカー(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1925年:ウィリー・マクファーレン(ウォーセスターカントリークラブ,マサチューセッツ州)
1926年:ボビー・ジョーンズ(セシオットカントリークラブ,オハイオ州)
1927年:トミー・アーマー(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1928年:ジョニー・ファレル(オリンピアフィールズカントリークラブ,イリノイ州)
1929年:ボビー・ジョーンズ(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1930年:ボビー・ジョーンズ(インターラッセンカントリークラブ,ミネソタ州)
1931年:ビリー・バーク(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1932年:ジーン・サラゼン(フレッシュメドウズカントリークラブ,ニューヨーク州)
1933年:ジョニー・グッドマン(ノースショアゴルフクラブ,イリノイ州)
1934年:オリン・デュトラ(メリオンクリケットクラブ,ペンシルバニア州)
1935年:サム・パークス(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1936年:トニー・マネロ(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1937年:ラルフ・ガルダール(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1938年:ラルフ・ガルダール(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1939年:バイロン・ネルソン(フィラデルフィアカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1940年:ローソン・リトル(カンタベリーゴルフクラブ,オハイオ州)
1941年:クレイグ・ウッド(コロニアルクラブ,テキサス州)
1942年-1945年 第二次世界大戦のためトーナメント中止
1946年:ロイド・マングラム(カンタベリーゴルフクラブ,オハイオ州)
1947年:ルー・ウォーシャム(セントルイスカントリークラブ,ミズーリ州)
1948年:ベン・ホーガン(リビエラカントリークラブ,カリフォルニア州)
1949年:ケリー・ミドルコフ(メダイナカントリークラブ,イリノイ州)
1950年:ベン・ホーガン(メリオンゴルフクラブ,ペンシルバニア州)
1951年:ベン・ホーガン(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1952年:ジュリアス・ボロス(ノースウッドクラブ,テキサス州)
1953年:ベン・ホーガン(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1954年:エド・ファーゴル(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1955年:ジャック・フレック(オリンピックカントリークラブ,カリフォルニア州)
1956年:ケリー・ミドルコフ(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
1957年:ディック・メイヤー(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1958年:トミー・ボルト(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1959年:ビリー・キャスパー(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1960年:アーノルド・パーマー(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1961年:ジーン・リトラー(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1962年:ジャック・ニクラス(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1963年:ジュリアス・ボロス(ザ・カントリークラブ,マサチューセッツ州)
1964年:ケン・ベンチュリー(コングレッショナルカントリークラブ,メリーランド州)
1965年:ゲーリー・プレーヤー(ベルリーブカントリークラブ,ミズーリ州)
1966年:ビリー・キャスパー(オリンピックカントリークラブ,カリフォルニア州)
1967年:ジャック・ニクラス(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1968年:リー・トレビノ(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
1969年:オービル・ムーディー(チャンピオンズゴルフクラブ,テキサス州)
1970年:トニー・ジャクリン(ヘーゼルタインナショナルゴルフクラブ,ミネソタ州)
1971年:リー・トレビノ(メリオンゴルフクラブ,ペンシルバニア州)
1972年:ジャック・ニクラス(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
1973年:ジョニー・ミラー(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1974年:ヘール・アーウィン(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1975年:ルー・グラハム(メダイナカントリークラブ,イリノイ州)
1976年:ジェリー・ペイト(アトランタアスレチッククラブ,ジョージア州)
1977年:ヒューバート・グリーン(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
1978年:アンディ・ノース(チェリーヒルズカントリークラブ,コロラド州)
1979年:ヘール・アーウィン(インバーネスクラブ,オハイオ州)
1980年:ジャック・ニクラス(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1981年:デビッド・グラハム(メリオンゴルフクラブ,ペンシルバニア州)
1982年:トム・ワトソン(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
1983年:ラリー・ネルソン(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1984年:ファジー・ゼラー(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1985年:アンディ・ノース(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1986年:レイモンド・フロイド(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1987年:スコット・シンプソン(オリンピックカントリークラブ,カリフォルニア州)
1988年:カーティス・ストレンジ(ザ・カントリークラブ,マサチューセッツ州)
1989年:カーティス・ストレンジ(オークヒルカントリークラブ,ニューヨーク州)
1990年:ヘール・アーウィン(メダイナカントリークラブ,イリノイ州)
1991年:ペイン・スチュワート(ヘーゼルタインナショナルゴルフクラブ,ミネソタ州)
1992年:トム・カイト(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
1993年:リー・ジャンセン(バルタスロールゴルフクラブ,ニュージャージー州)
1994年:アーニー・エルス(オークモントカントリークラブ,ペンシルバニア州)
1995年:コーリー・ペイビン(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
1996年:スティーブ・ジョーンズ(オークランドヒルズカントリークラブ,ミシガン州)
1997年:アーニー・エルス(コングレッショナル,メリーランド州)
1998年:リー・ジャンセン(オリンピッククラブ,カリフォルニア州)
1999年:ペイン・スチュワート(パインハーストリゾートアンドカントリークラブ,ノースカロライナ州)
2000年:タイガー・ウッズ(ペブルビーチゴルフリンクス,カリフォルニア州)
2001年:レティーフ・グーセン(サザンヒルズカントリークラブ,オクラホマ州)
2002年:タイガー・ウッズ(ベスページステートパーク,ニューヨーク州)
2003年:ジム・フューリク(オリンピアフィールズカントリークラブ,イリノイ州)
2004年:レティーフ・グーセン(シネコックヒルズゴルフクラブ,ニューヨーク州)
2005年:マイケル・キャンベル(パインハーストリゾートアンドカントリークラブ,ノースカロライナ州)
2006年:ジェフ・オギルビー(ウイングドフットゴルフクラブ,ニューヨーク州)
テレビジョン放送
日本
日本での地上波テレビ放送はテレビ朝日系列が1997年より「全米女子オープンゴルフ」「全米シニアオープンゴルフ」と同時期に放送開始していて、特に丸山茂樹が日本人最高の4位をマークした2004年の最終日の視聴率は早朝の放送にも関わらず9.2%をマークした。また、最終日では「スーパーモーニング」をネットしている山梨放送・北日本放送・福井放送・山陰放送※・高知放送・四国放送・宮崎放送※でも日本時間8:00から放送している。
※但し山陰放送と宮崎放送は日本時間8:30から放送している。
2005年以前まで土曜の午後に「予選ハイライト」・日曜の「サンデープレゼント」枠で「3日目ハイライト」・月曜のネオバラエティ枠で「最終日ハイライト」を放送したが、2006年度の放送はなし また、ゴルフネットワークでは独占生中継のため、テレビ朝日は時差放送となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ゴルフまめ知識
日本のゴルフ場一覧
日本のゴルフ場一覧です。
日本のゴルフ場を50音順に並べ、分類したもの。
あ行
愛知カンツリー倶楽部(あいちかんつりーくらぶ)愛知県名古屋市名東区
明石ゴルフ倶楽部(あかしごるふくらぶ)兵庫県神戸市西区
浅見カントリー倶楽部(あさみかんとりーくらぶ)茨城県水戸市
足柄森林カントリー倶楽部(あしがらしんりんかんとりーくらぶ)静岡県駿東郡小山町
麻生飯塚ゴルフ倶楽部(あそういいづかごるふくらぶ)福岡県嘉穂郡桂川(けいせん)町
厚木国際カントリー倶楽部(あつぎこくさいかんとりーくらぶ)神奈川県厚木市
我孫子ゴルフ倶楽部(あびこごるふくらぶ)千葉県我孫子市
天野山カントリークラブ(あまのさんかんとりーくらぶ)大阪府河内長野市
伊豆下田カントリークラブ(いずしもだかんとりーくらう)静岡県賀茂郡南伊豆町
有馬ロイヤルゴルフクラブ(ありまろいやるごるふくらぶ)兵庫県神戸市北区
泉パークタウンゴルフ倶楽部(いずみぱーくたうんごるふくらぶ)宮城県仙台市泉区
伊勢原カントリークラブ(いせはらかんとりーくらぶ)神奈川県伊勢原市
磯子カンツリークラブ(いそごかんつりーくらぶ)神奈川県横浜市
潮来カントリー倶楽部(いたこかんとりーくらぶ)茨城県潮来市
茨木カンツリー倶楽部(いばらきかんつりーくらぶ)大阪府茨木市
いぶすきゴルフクラブ(いぶすきごるふくらぶ)鹿児島県指宿市
魚津国際カントリークラブ(うおづこくさいかんとりーくらぶ)富山県魚津市
宇津峰カントリークラブ(うつみねかんとりーくらぶ)福島県須賀川市
浦和ゴルフ倶楽部(うらわごるふくらぶ)埼玉県さいたま市桜区
ABCゴルフ倶楽部(えいびーしーごるふくらぶ)兵庫県加東市
愛媛ゴルフ倶楽部(えひめごるふくらぶ)愛媛県喜多郡内子町
大洗ゴルフ倶楽部(おおあらいごるふくらぶ)茨城県東茨城郡大洗町
大利根カントリークラブ(おおとねかんとりーくらぶ)茨城県坂東市
大秦野カントリークラブ(おおはだのかんとりーくらぶ)神奈川県秦野市
小田原ゴルフ倶楽部(おだわらごるふくらぶ)神奈川県足柄上郡松田町
小樽カントリー倶楽部(おたるかんとりーくらぶ)北海道小樽市
小野ゴルフ倶楽部 (おのごるふくらぶ)兵庫県小野市
帯広カントリークラブ(おびひろかんとりーくらぶ)北海道河西郡芽室町
表蔵王国際ゴルフクラブ(おもてざおうこくさいごるふくらぶ)宮城県柴田郡柴田町
か行
春日井カントリークラブ(かすがいかんとりーくらぶ)愛知県春日井市
霞ヶ関カンツリー倶楽部(かすみがせきかんつりーくらぶ)埼玉県川越市
片山津ゴルフ倶楽部(かたやまづごるふくらぶ)石川県加賀市
鎌倉カントリークラブ(かまくらかんとりーくらぶ)神奈川県鎌倉市
烏山城カントリークラブ(からすやまじょうかんとりーくらぶ)栃木県那須烏山市
軽井沢72ゴルフ(かるいざわせぶんつーごるふ)長野県北佐久郡軽井沢町
カレドニアン・ゴルフクラブ(かれどにあん・ごるふくらぶ)千葉県山武郡横芝光町
川越カントリークラブ(かわごえかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
川崎国際生田緑地ゴルフ場(かわさきこくさいいくたりょくちごるふじょう)神奈川県川崎市
川奈ホテルゴルフコース 富士コース(かわなほてるごるふこーす ふじこーす)静岡県伊東市
吉備カントリークラブ(きびかんとりーくらぶ)岡山県総社市
岐阜関カントリー倶楽部(ぎふせきかんとりーくらぶ)岐阜県関市
ギャッツビーゴルフクラブ(ぎゃっつびーごるふくらぶ)静岡県駿東郡小山町
近鉄賢島カンツリークラブ(きんてつかしこじまかんつりーくらぶ)三重県志摩市
球磨カントリー倶楽部(くまかんとりーくらぶ)熊本県球磨郡錦町
熊本空港カントリークラブ(くまもとくうこうかんとりーくらぶ)熊本県菊池郡
倉敷カントリー倶楽部(くらしきかんとりーくらぶ)岡山県倉敷市
グランデージゴルフ倶楽部(ぐらんでーじごるふくらぶ)奈良県吉野郡吉野町
グランフィールズカントリークラブ(ぐらんふぃーるずかんとりーくらぶ)静岡県三島市
グリーンエースカントリークラブ(ぐりーんえーすかんとりーくらぶ)兵庫県加東市
グリーンウッドカントリークラブ(ぐりーんうっどかんとりーくらぶ)福島県西白河郡西郷村
グローリィヒルズゴルフクラブ(ぐろーりぃひるずごるふくらぶ)福島県東白川郡棚倉町
桑名国際ゴルフ倶楽部(くわなこくさいごるふくらぶ)三重県員弁郡東員町
祁答院ゴルフ倶楽部(けどういんごるふくらぶ)鹿児島県薩摩川内市祁答院町
芥屋ゴルフ倶楽部(けやごるふくらぶ)福岡県糸島郡志摩町
Kochi黒潮カントリークラブ(こうちくろしおかんとりーくらぶ)高知県安芸郡芸西村
神戸ゴルフ倶楽部(こうべごるふくらぶ)兵庫県神戸市灘区
古賀ゴルフクラブ(こがごるふくらぶ)福岡県古賀市
小金井カントリー倶楽部(こがねいかんとりーくらぶ)東京都小平市 ウォルター・ヘーゲンの設計コース。
コスモクラシッククラブ(こすもくらしっくくらぶ)千葉県南房総市
琴平カントリー倶楽部(ことひらかんとりーくらぶ)香川県三豊市
KOMAカントリークラブ(こまかんとりーくらぶ)奈良県奈良市 ゲーリー・プレーヤーの設計コース。
ゴルフクラブツインフィールズ(ごるふくらぶついんふぃーるず)石川県小松市
さ行
酒匂ロイヤルゴルフ倶楽部(さかわろいやるごるふくらぶ)神奈川県足柄上郡山北町
ザ・クイーンズヒルゴルフクラブ(ざくいーんずひるごるふくらぶ)福岡県前原市
札幌エルムカントリークラブ(さっぽろエルムカントリークラブ)北海道恵庭市
札幌後楽園カントリークラブ(さっぽろこうらくえんかんとりーくらぶ)北海道北広島市
札幌国際カントリークラブ・島松コース(さっぽろこくさいかんとりーくらぶ・しままつこーす)北海道北広島市
札幌ゴルフ倶楽部・由仁コース(さっぽろごるふくらぶ・ゆにこーす)北海道夕張郡由仁町
札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コース(さっぽろごるふくらぶ・わっつこーす)北海道北広島市
狭山ゴルフ・クラブ(さやまごるふ・くらぶ)埼玉県入間市
山陽ゴルフ倶楽部(さんようごるふくらぶ)岡山県赤磐市
紫雲ゴルフ倶楽部(しうんごるふくらぶ)新潟県新発田市
下関ゴルフ倶楽部(しものせきごるふくらぶ)山口県下関市
ジャパンメモリアルゴルフクラブ(じゃぱんめもりあるごるふくらぶ)兵庫県三木市
湘南シーサイドカントリー倶楽部(しょうなんしーさいどかんとりーくらぶ)神奈川県茅ヶ崎市
新奈良ゴルフ倶楽部(しんならごるふくらぶ)奈良県奈良市
瀬田ゴルフコース(せたごるふこーす)滋賀県大津市
セントラルゴルフクラブ(せんとらるごるふくらぶ)茨城県行方市
総武カントリークラブ(そうぶかんとりーくらぶ)千葉県印西市
袖ヶ浦カンツリー倶楽部(そでがうらかんつりーくらぶ)千葉県千葉市緑区
た行
大神戸ゴルフ倶楽部(だいこうべごるふくらぶ)兵庫県神戸市西区
太平洋クラブ相模コース(たいへいようくらぶさがみこーす)神奈川県秦野市
太平洋クラブ御殿場コース(たいへいようくらぶごてんばこーす)静岡県御殿場市
鷹之台カンツリー倶楽部(たかのだいかんつりーくらぶ)千葉県千葉市花見川区
高坂カントリークラブ(たかさかかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
宝塚ゴルフ倶楽部(たからづかごるふくらぶ)兵庫県宝塚市
詫間カントリークラブ(たくまかんとりーくらぶ)香川県三豊市
玉名カントリークラブ(たまなかんとりーくらぶ)熊本県玉名市
チェックメイトカントリークラブ(ちぇっくめいとかんとりーくらぶ)神奈川県足柄上郡松田町
千葉新日本ゴルフ倶楽部(ちばしんにほんごるふくらぶ)千葉県市原市
千葉カントリークラブ(ちばかんとりーくらぶ)千葉県野田市
中京ゴルフ倶楽部・石野コース(ちゅうきょうごるふくらぶ・いしのこーす)愛知県豊田市
東京カントリー倶楽部−秦野ゴルフコース(とうきょうかんとりーくらぶ−はだのこーす)神奈川県秦野市
東京ゴルフ倶楽部(とうきょうごるふくらぶ)埼玉県狭山市
東京よみうりカントリークラブ(とうきょうよみうりかんとりーくらぶ)東京都稲城市
戸塚カントリークラブ(とつかかんとりーくらぶ)神奈川県横浜市旭区
トム・ワトソンゴルフコース(とむ・わとそんごるふこーす)宮崎県宮崎市 その名の通り、トム・ワトソンが設計・監修。フェニックスカントリークラブに隣接(クラブハウスは統合されている)。
な行
名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース(なごやごるふくらぶ・わごうこーす)愛知県愛知郡東郷町
夏泊ゴルフリンクス(なつどまりごるふりんくす)青森県東津軽郡平内町
習志野カントリークラブ(ならしのかんとりーくらぶ)千葉県印西市
鳴尾ゴルフ倶楽部(なるおごるふくらぶ)兵庫県川西市
西仙台カントリークラブ(にしせんだいかんとりーくらぶ)宮城県仙台市青葉区
西宮カントリー倶楽部(にしのみやかんとりーくらぶ)兵庫県西宮市
日光カンツリー倶楽部(にっこうかんつりーくらぶ)栃木県日光市
ニドムクラシックコース(にどむくらしっくこーす)北海道苫小牧市
日本ラインゴルフ倶楽部(にほんらいんごるふくらぶ)岐阜県可児市
は行
秦野カントリークラブ(はだのかんとりーくらぶ)神奈川県秦野市
浜野ゴルフクラブ(はまのごるふくらぶ)千葉県市原市
葉山国際カンツリー倶楽部(はやまこくさいかんつりーくらぶ)神奈川県三浦郡葉山町
東名古屋カントリークラブ(ひがしなごやかんとりーくらぶ)愛知県豊田市
東広野ゴルフ倶楽部(ひがしひろのごるふくらぶ)兵庫県三木市
東松山カントリークラブ(ひがしまつやまかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
日野ゴルフ倶楽部(ひのごるふくらぶ)滋賀県蒲生郡日野町
枚方カントリー倶楽部(ひらかたかんとりーくらぶ)大阪府枚方市
広野ゴルフ倶楽部(ひろのごるふくらぶ)兵庫県三木市
琵琶湖カントリー倶楽部(びわこかんとりーくらぶ)滋賀県栗東市
フェニックスカントリークラブ(ふぇにっくすかんとりーくらぶ)宮崎県宮崎市
フォレストゴルフクラブ(ふぉれすとごるふくらぶ)新潟県新発田市
福島空港カントリークラブ(ふくしまくうこうかんとりーくらぶ)福島県須賀川市
富士桜カントリークラブ(ふじざくらかんとりーくらぶ)山梨県南都留郡富士河口湖町
扶桑カントリー倶楽部(ふそうかんとりーくらぶ)茨城県笠間市
プレステージカントリークラブ(ぷれすてーじかんとりーくらぶ)栃木県栃木市
程ヶ谷カントリー倶楽部(ほどがやかんとりーくらぶ)神奈川県横浜市旭区
ま行
牧野パークゴルフ場(まきのぱーくごるふじょう)大阪府枚方市
ミオス菊川カントリークラブ(みおすきくかわかんとりーくらぶ)静岡県掛川市 旧名称を「ミナミ菊川カントリークラブ」といった。
三木よかわカントリークラブ(みきよかわかんとりーくらぶ)兵庫県三木市
水海道ゴルフクラブ(みつかいどうごるふくらぶ)茨城県常総市
美浦ゴルフ倶楽部(みほごるふくらぶ)茨城県稲敷郡美浦村
三好カントリー倶楽部(みよしかんとりーくらぶ)愛知県西加茂郡三好町
武蔵松山カントリークラブ(むさしまつやまかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
紫カントリークラブ(むらさきかんとりーくらぶ)千葉県野田市
名岐国際ゴルフ倶楽部(めいきこくさいごるふくらぶ)岐阜県土岐市
名神八日市カントリークラブ(めいしんようかいちかんとりーくらぶ)滋賀県東近江市
門司ゴルフ倶楽部(もじごるふくらぶ)福岡県北九州市門司区
や行
やくらいゴルフ倶楽部(やくらいごるふくらぶ)宮城県加美郡加美町
山の原ゴルフクラブ・山の原コース(やまのはらごるふくらぶ・やまのはらこーす)兵庫県川西市 旧名称を「スポーツ振興カントリー倶楽部」といった。
横浜カントリークラブ(よこはまかんとりーくらぶ)神奈川県横浜市保土ヶ谷区
四日市カンツリー倶楽部(よっかいちかんつりーくらぶ)三重県四日市市
ら行
嵐山カントリークラブ(らんざんかんとりーくらぶ)埼玉県比企郡嵐山町
龍ヶ崎カントリー倶楽部(りゅうがさきかんとりーくらぶ)茨城県龍ヶ崎市
龍の舞ゴルフクラブ(りゅうのまいごるふくらぶ)福島県白河市
凉仙ゴルフ倶楽部(りょうせんごるふくらぶ)三重県いなべ市
レイクグリーンゴルフ倶楽部(れいくぐりーんごるふくらぶ)岐阜県可児郡御嵩町
六甲国際ゴルフ倶楽部(ろっこうこくさいごるふくらぶ)兵庫県神戸市北区
わ行
若松ゴルフ倶楽部(わかまつごるふくらぶ)福岡県北九州市若松区
稚内カントリークラブ(わっかないかんとりーくらぶ)北海道稚内市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本のゴルフ場を50音順に並べ、分類したもの。
あ行
愛知カンツリー倶楽部(あいちかんつりーくらぶ)愛知県名古屋市名東区
明石ゴルフ倶楽部(あかしごるふくらぶ)兵庫県神戸市西区
浅見カントリー倶楽部(あさみかんとりーくらぶ)茨城県水戸市
足柄森林カントリー倶楽部(あしがらしんりんかんとりーくらぶ)静岡県駿東郡小山町
麻生飯塚ゴルフ倶楽部(あそういいづかごるふくらぶ)福岡県嘉穂郡桂川(けいせん)町
厚木国際カントリー倶楽部(あつぎこくさいかんとりーくらぶ)神奈川県厚木市
我孫子ゴルフ倶楽部(あびこごるふくらぶ)千葉県我孫子市
天野山カントリークラブ(あまのさんかんとりーくらぶ)大阪府河内長野市
伊豆下田カントリークラブ(いずしもだかんとりーくらう)静岡県賀茂郡南伊豆町
有馬ロイヤルゴルフクラブ(ありまろいやるごるふくらぶ)兵庫県神戸市北区
泉パークタウンゴルフ倶楽部(いずみぱーくたうんごるふくらぶ)宮城県仙台市泉区
伊勢原カントリークラブ(いせはらかんとりーくらぶ)神奈川県伊勢原市
磯子カンツリークラブ(いそごかんつりーくらぶ)神奈川県横浜市
潮来カントリー倶楽部(いたこかんとりーくらぶ)茨城県潮来市
茨木カンツリー倶楽部(いばらきかんつりーくらぶ)大阪府茨木市
いぶすきゴルフクラブ(いぶすきごるふくらぶ)鹿児島県指宿市
魚津国際カントリークラブ(うおづこくさいかんとりーくらぶ)富山県魚津市
宇津峰カントリークラブ(うつみねかんとりーくらぶ)福島県須賀川市
浦和ゴルフ倶楽部(うらわごるふくらぶ)埼玉県さいたま市桜区
ABCゴルフ倶楽部(えいびーしーごるふくらぶ)兵庫県加東市
愛媛ゴルフ倶楽部(えひめごるふくらぶ)愛媛県喜多郡内子町
大洗ゴルフ倶楽部(おおあらいごるふくらぶ)茨城県東茨城郡大洗町
大利根カントリークラブ(おおとねかんとりーくらぶ)茨城県坂東市
大秦野カントリークラブ(おおはだのかんとりーくらぶ)神奈川県秦野市
小田原ゴルフ倶楽部(おだわらごるふくらぶ)神奈川県足柄上郡松田町
小樽カントリー倶楽部(おたるかんとりーくらぶ)北海道小樽市
小野ゴルフ倶楽部 (おのごるふくらぶ)兵庫県小野市
帯広カントリークラブ(おびひろかんとりーくらぶ)北海道河西郡芽室町
表蔵王国際ゴルフクラブ(おもてざおうこくさいごるふくらぶ)宮城県柴田郡柴田町
か行
春日井カントリークラブ(かすがいかんとりーくらぶ)愛知県春日井市
霞ヶ関カンツリー倶楽部(かすみがせきかんつりーくらぶ)埼玉県川越市
片山津ゴルフ倶楽部(かたやまづごるふくらぶ)石川県加賀市
鎌倉カントリークラブ(かまくらかんとりーくらぶ)神奈川県鎌倉市
烏山城カントリークラブ(からすやまじょうかんとりーくらぶ)栃木県那須烏山市
軽井沢72ゴルフ(かるいざわせぶんつーごるふ)長野県北佐久郡軽井沢町
カレドニアン・ゴルフクラブ(かれどにあん・ごるふくらぶ)千葉県山武郡横芝光町
川越カントリークラブ(かわごえかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
川崎国際生田緑地ゴルフ場(かわさきこくさいいくたりょくちごるふじょう)神奈川県川崎市
川奈ホテルゴルフコース 富士コース(かわなほてるごるふこーす ふじこーす)静岡県伊東市
吉備カントリークラブ(きびかんとりーくらぶ)岡山県総社市
岐阜関カントリー倶楽部(ぎふせきかんとりーくらぶ)岐阜県関市
ギャッツビーゴルフクラブ(ぎゃっつびーごるふくらぶ)静岡県駿東郡小山町
近鉄賢島カンツリークラブ(きんてつかしこじまかんつりーくらぶ)三重県志摩市
球磨カントリー倶楽部(くまかんとりーくらぶ)熊本県球磨郡錦町
熊本空港カントリークラブ(くまもとくうこうかんとりーくらぶ)熊本県菊池郡
倉敷カントリー倶楽部(くらしきかんとりーくらぶ)岡山県倉敷市
グランデージゴルフ倶楽部(ぐらんでーじごるふくらぶ)奈良県吉野郡吉野町
グランフィールズカントリークラブ(ぐらんふぃーるずかんとりーくらぶ)静岡県三島市
グリーンエースカントリークラブ(ぐりーんえーすかんとりーくらぶ)兵庫県加東市
グリーンウッドカントリークラブ(ぐりーんうっどかんとりーくらぶ)福島県西白河郡西郷村
グローリィヒルズゴルフクラブ(ぐろーりぃひるずごるふくらぶ)福島県東白川郡棚倉町
桑名国際ゴルフ倶楽部(くわなこくさいごるふくらぶ)三重県員弁郡東員町
祁答院ゴルフ倶楽部(けどういんごるふくらぶ)鹿児島県薩摩川内市祁答院町
芥屋ゴルフ倶楽部(けやごるふくらぶ)福岡県糸島郡志摩町
Kochi黒潮カントリークラブ(こうちくろしおかんとりーくらぶ)高知県安芸郡芸西村
神戸ゴルフ倶楽部(こうべごるふくらぶ)兵庫県神戸市灘区
古賀ゴルフクラブ(こがごるふくらぶ)福岡県古賀市
小金井カントリー倶楽部(こがねいかんとりーくらぶ)東京都小平市 ウォルター・ヘーゲンの設計コース。
コスモクラシッククラブ(こすもくらしっくくらぶ)千葉県南房総市
琴平カントリー倶楽部(ことひらかんとりーくらぶ)香川県三豊市
KOMAカントリークラブ(こまかんとりーくらぶ)奈良県奈良市 ゲーリー・プレーヤーの設計コース。
ゴルフクラブツインフィールズ(ごるふくらぶついんふぃーるず)石川県小松市
さ行
酒匂ロイヤルゴルフ倶楽部(さかわろいやるごるふくらぶ)神奈川県足柄上郡山北町
ザ・クイーンズヒルゴルフクラブ(ざくいーんずひるごるふくらぶ)福岡県前原市
札幌エルムカントリークラブ(さっぽろエルムカントリークラブ)北海道恵庭市
札幌後楽園カントリークラブ(さっぽろこうらくえんかんとりーくらぶ)北海道北広島市
札幌国際カントリークラブ・島松コース(さっぽろこくさいかんとりーくらぶ・しままつこーす)北海道北広島市
札幌ゴルフ倶楽部・由仁コース(さっぽろごるふくらぶ・ゆにこーす)北海道夕張郡由仁町
札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コース(さっぽろごるふくらぶ・わっつこーす)北海道北広島市
狭山ゴルフ・クラブ(さやまごるふ・くらぶ)埼玉県入間市
山陽ゴルフ倶楽部(さんようごるふくらぶ)岡山県赤磐市
紫雲ゴルフ倶楽部(しうんごるふくらぶ)新潟県新発田市
下関ゴルフ倶楽部(しものせきごるふくらぶ)山口県下関市
ジャパンメモリアルゴルフクラブ(じゃぱんめもりあるごるふくらぶ)兵庫県三木市
湘南シーサイドカントリー倶楽部(しょうなんしーさいどかんとりーくらぶ)神奈川県茅ヶ崎市
新奈良ゴルフ倶楽部(しんならごるふくらぶ)奈良県奈良市
瀬田ゴルフコース(せたごるふこーす)滋賀県大津市
セントラルゴルフクラブ(せんとらるごるふくらぶ)茨城県行方市
総武カントリークラブ(そうぶかんとりーくらぶ)千葉県印西市
袖ヶ浦カンツリー倶楽部(そでがうらかんつりーくらぶ)千葉県千葉市緑区
た行
大神戸ゴルフ倶楽部(だいこうべごるふくらぶ)兵庫県神戸市西区
太平洋クラブ相模コース(たいへいようくらぶさがみこーす)神奈川県秦野市
太平洋クラブ御殿場コース(たいへいようくらぶごてんばこーす)静岡県御殿場市
鷹之台カンツリー倶楽部(たかのだいかんつりーくらぶ)千葉県千葉市花見川区
高坂カントリークラブ(たかさかかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
宝塚ゴルフ倶楽部(たからづかごるふくらぶ)兵庫県宝塚市
詫間カントリークラブ(たくまかんとりーくらぶ)香川県三豊市
玉名カントリークラブ(たまなかんとりーくらぶ)熊本県玉名市
チェックメイトカントリークラブ(ちぇっくめいとかんとりーくらぶ)神奈川県足柄上郡松田町
千葉新日本ゴルフ倶楽部(ちばしんにほんごるふくらぶ)千葉県市原市
千葉カントリークラブ(ちばかんとりーくらぶ)千葉県野田市
中京ゴルフ倶楽部・石野コース(ちゅうきょうごるふくらぶ・いしのこーす)愛知県豊田市
東京カントリー倶楽部−秦野ゴルフコース(とうきょうかんとりーくらぶ−はだのこーす)神奈川県秦野市
東京ゴルフ倶楽部(とうきょうごるふくらぶ)埼玉県狭山市
東京よみうりカントリークラブ(とうきょうよみうりかんとりーくらぶ)東京都稲城市
戸塚カントリークラブ(とつかかんとりーくらぶ)神奈川県横浜市旭区
トム・ワトソンゴルフコース(とむ・わとそんごるふこーす)宮崎県宮崎市 その名の通り、トム・ワトソンが設計・監修。フェニックスカントリークラブに隣接(クラブハウスは統合されている)。
な行
名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース(なごやごるふくらぶ・わごうこーす)愛知県愛知郡東郷町
夏泊ゴルフリンクス(なつどまりごるふりんくす)青森県東津軽郡平内町
習志野カントリークラブ(ならしのかんとりーくらぶ)千葉県印西市
鳴尾ゴルフ倶楽部(なるおごるふくらぶ)兵庫県川西市
西仙台カントリークラブ(にしせんだいかんとりーくらぶ)宮城県仙台市青葉区
西宮カントリー倶楽部(にしのみやかんとりーくらぶ)兵庫県西宮市
日光カンツリー倶楽部(にっこうかんつりーくらぶ)栃木県日光市
ニドムクラシックコース(にどむくらしっくこーす)北海道苫小牧市
日本ラインゴルフ倶楽部(にほんらいんごるふくらぶ)岐阜県可児市
は行
秦野カントリークラブ(はだのかんとりーくらぶ)神奈川県秦野市
浜野ゴルフクラブ(はまのごるふくらぶ)千葉県市原市
葉山国際カンツリー倶楽部(はやまこくさいかんつりーくらぶ)神奈川県三浦郡葉山町
東名古屋カントリークラブ(ひがしなごやかんとりーくらぶ)愛知県豊田市
東広野ゴルフ倶楽部(ひがしひろのごるふくらぶ)兵庫県三木市
東松山カントリークラブ(ひがしまつやまかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
日野ゴルフ倶楽部(ひのごるふくらぶ)滋賀県蒲生郡日野町
枚方カントリー倶楽部(ひらかたかんとりーくらぶ)大阪府枚方市
広野ゴルフ倶楽部(ひろのごるふくらぶ)兵庫県三木市
琵琶湖カントリー倶楽部(びわこかんとりーくらぶ)滋賀県栗東市
フェニックスカントリークラブ(ふぇにっくすかんとりーくらぶ)宮崎県宮崎市
フォレストゴルフクラブ(ふぉれすとごるふくらぶ)新潟県新発田市
福島空港カントリークラブ(ふくしまくうこうかんとりーくらぶ)福島県須賀川市
富士桜カントリークラブ(ふじざくらかんとりーくらぶ)山梨県南都留郡富士河口湖町
扶桑カントリー倶楽部(ふそうかんとりーくらぶ)茨城県笠間市
プレステージカントリークラブ(ぷれすてーじかんとりーくらぶ)栃木県栃木市
程ヶ谷カントリー倶楽部(ほどがやかんとりーくらぶ)神奈川県横浜市旭区
ま行
牧野パークゴルフ場(まきのぱーくごるふじょう)大阪府枚方市
ミオス菊川カントリークラブ(みおすきくかわかんとりーくらぶ)静岡県掛川市 旧名称を「ミナミ菊川カントリークラブ」といった。
三木よかわカントリークラブ(みきよかわかんとりーくらぶ)兵庫県三木市
水海道ゴルフクラブ(みつかいどうごるふくらぶ)茨城県常総市
美浦ゴルフ倶楽部(みほごるふくらぶ)茨城県稲敷郡美浦村
三好カントリー倶楽部(みよしかんとりーくらぶ)愛知県西加茂郡三好町
武蔵松山カントリークラブ(むさしまつやまかんとりーくらぶ)埼玉県東松山市
紫カントリークラブ(むらさきかんとりーくらぶ)千葉県野田市
名岐国際ゴルフ倶楽部(めいきこくさいごるふくらぶ)岐阜県土岐市
名神八日市カントリークラブ(めいしんようかいちかんとりーくらぶ)滋賀県東近江市
門司ゴルフ倶楽部(もじごるふくらぶ)福岡県北九州市門司区
や行
やくらいゴルフ倶楽部(やくらいごるふくらぶ)宮城県加美郡加美町
山の原ゴルフクラブ・山の原コース(やまのはらごるふくらぶ・やまのはらこーす)兵庫県川西市 旧名称を「スポーツ振興カントリー倶楽部」といった。
横浜カントリークラブ(よこはまかんとりーくらぶ)神奈川県横浜市保土ヶ谷区
四日市カンツリー倶楽部(よっかいちかんつりーくらぶ)三重県四日市市
ら行
嵐山カントリークラブ(らんざんかんとりーくらぶ)埼玉県比企郡嵐山町
龍ヶ崎カントリー倶楽部(りゅうがさきかんとりーくらぶ)茨城県龍ヶ崎市
龍の舞ゴルフクラブ(りゅうのまいごるふくらぶ)福島県白河市
凉仙ゴルフ倶楽部(りょうせんごるふくらぶ)三重県いなべ市
レイクグリーンゴルフ倶楽部(れいくぐりーんごるふくらぶ)岐阜県可児郡御嵩町
六甲国際ゴルフ倶楽部(ろっこうこくさいごるふくらぶ)兵庫県神戸市北区
わ行
若松ゴルフ倶楽部(わかまつごるふくらぶ)福岡県北九州市若松区
稚内カントリークラブ(わっかないかんとりーくらぶ)北海道稚内市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ゴルフまめ知識
グランドスラム
ゴルフにおけるグランドスラムは、世界4大メジャー大会である
マスターズ・トーナメント
全米オープン
全英オープン
全米プロゴルフ選手権
をすべて制覇することをいう。
女子の場合は
クラフト・ナビスコ選手権
全米女子プロゴルフ選手権
全米女子オープン
全英女子オープン
をすべて制覇することをいう。メジャー大会を生涯のうちにすべて制覇することを「キャリア・グランドスラム」という。
1930年に、当時28歳のボビー・ジョーンズが当時の世界4大タイトルであった全米アマチュア選手権、全英アマチュア選手権、全米オープン、全英オープンを1年のうちにすべて制覇した。スポーツ界において「グランドスラム」という言葉が用いられたのはこれが最初である。
ジョーンズは生涯アマチュアを貫いたため、現在のゴルフ界の「グランドスラム」は当時の意味とは異なっている。マスターズ・トーナメントの会場である「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」(アメリカ・ジョージア州)は、ジョーンズが競技生活からの引退後に設計したコースである。第1回マスターズは1934年に開催された。
女子のゴルフ・メジャー大会は、長い歴史の中で何度も変更されている。そのため「当時のメジャー大会をすべて制覇した選手」を網羅しなければならない。全米女子プロゴルフ選手権と全米女子オープンはずっと変わっていないが、他の2大会に変更があった点は注意を要する。最近でも女子メジャーの最終戦が、2000年までは「デュモーリエ・クラシック」であったものが、2001年から全英女子オープンに変更されている。大会開催時期も年によって異なることが多かった。
男子で(ジョーンズとは異なる)現在の定義による「キャリア・グランドスラム」を達成したプロ選手は5人いる。以下に選手名と達成年を記す。
ジーン・サラゼン(Gene Sarazen; アメリカ、1935年)
ベン・ホーガン(Ben Hogan; アメリカ、1953年)
ゲーリー・プレーヤー(Gary Player; 南アフリカ、1965年)
ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus; アメリカ、1966年)
タイガー・ウッズ(Tiger Woods; アメリカ、2000年)
ウッズが2000年の全米オープンから2001年のマスターズまでメジャー大会4連覇を達成した時、これを「グランドスラム」と認定するかどうかでマスメディアの間に論争があった。
前人未踏の偉業であったけれども、“2年にまたがる”この記録は結局グランドスラムとは認定されず、「タイガー・スラム」と呼ばれることになった。
女子で「キャリア・グランドスラム」を達成した選手は6人いる。以下に選手名と達成年を記す。
ルイーズ・サッグス(Louise Suggs; アメリカ、1957年)
ミッキー・ライト(Mickey Wright; アメリカ、1962年)
パット・ブラッドリー(Pat Bradley; アメリカ、1986年)
ジュリ・インクスター(Juli Inkster; アメリカ、1999年)
カリー・ウェブ(Karrie Webb; オーストラリア、2001年 → 2002年に“スーパー・グランドスラム”達成)
アニカ・ソレンスタム(Annika Sörenstam; スウェーデン、2003年)
最初の2人、サッグスとライトの時代は「タイトルホルダーズ選手権」と「ウェスタン・オープン」がメジャー大会だった。(タイトルホルダーズ選手権は1937年~1966年&1972年まで、ウェスタン・オープンは1937年~1967年までメジャー大会であった。)5人目の達成者、ウェブは1999年のデュモーリエ・クラシック → 2002年の全英女子オープンを制覇しているため“スーパー・グランドスラム”と呼ばれたが、これは“過渡期”的な用語と言えよう。(もしインクスターが全英女子オープンを制覇すれば、スーパー・グランドスラム成立の可能性がある。ソレンスタムはデュモーリエ・クラシックで優勝経験がないため、スーパーには該当しない。)女子で(ジョーンズやウッズのように)メジャー4大会に連続優勝をした選手は、現時点では誰もいない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マスターズ・トーナメント
全米オープン
全英オープン
全米プロゴルフ選手権
をすべて制覇することをいう。
女子の場合は
クラフト・ナビスコ選手権
全米女子プロゴルフ選手権
全米女子オープン
全英女子オープン
をすべて制覇することをいう。メジャー大会を生涯のうちにすべて制覇することを「キャリア・グランドスラム」という。
1930年に、当時28歳のボビー・ジョーンズが当時の世界4大タイトルであった全米アマチュア選手権、全英アマチュア選手権、全米オープン、全英オープンを1年のうちにすべて制覇した。スポーツ界において「グランドスラム」という言葉が用いられたのはこれが最初である。
ジョーンズは生涯アマチュアを貫いたため、現在のゴルフ界の「グランドスラム」は当時の意味とは異なっている。マスターズ・トーナメントの会場である「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」(アメリカ・ジョージア州)は、ジョーンズが競技生活からの引退後に設計したコースである。第1回マスターズは1934年に開催された。
女子のゴルフ・メジャー大会は、長い歴史の中で何度も変更されている。そのため「当時のメジャー大会をすべて制覇した選手」を網羅しなければならない。全米女子プロゴルフ選手権と全米女子オープンはずっと変わっていないが、他の2大会に変更があった点は注意を要する。最近でも女子メジャーの最終戦が、2000年までは「デュモーリエ・クラシック」であったものが、2001年から全英女子オープンに変更されている。大会開催時期も年によって異なることが多かった。
男子で(ジョーンズとは異なる)現在の定義による「キャリア・グランドスラム」を達成したプロ選手は5人いる。以下に選手名と達成年を記す。
ジーン・サラゼン(Gene Sarazen; アメリカ、1935年)
ベン・ホーガン(Ben Hogan; アメリカ、1953年)
ゲーリー・プレーヤー(Gary Player; 南アフリカ、1965年)
ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus; アメリカ、1966年)
タイガー・ウッズ(Tiger Woods; アメリカ、2000年)
ウッズが2000年の全米オープンから2001年のマスターズまでメジャー大会4連覇を達成した時、これを「グランドスラム」と認定するかどうかでマスメディアの間に論争があった。
前人未踏の偉業であったけれども、“2年にまたがる”この記録は結局グランドスラムとは認定されず、「タイガー・スラム」と呼ばれることになった。
女子で「キャリア・グランドスラム」を達成した選手は6人いる。以下に選手名と達成年を記す。
ルイーズ・サッグス(Louise Suggs; アメリカ、1957年)
ミッキー・ライト(Mickey Wright; アメリカ、1962年)
パット・ブラッドリー(Pat Bradley; アメリカ、1986年)
ジュリ・インクスター(Juli Inkster; アメリカ、1999年)
カリー・ウェブ(Karrie Webb; オーストラリア、2001年 → 2002年に“スーパー・グランドスラム”達成)
アニカ・ソレンスタム(Annika Sörenstam; スウェーデン、2003年)
最初の2人、サッグスとライトの時代は「タイトルホルダーズ選手権」と「ウェスタン・オープン」がメジャー大会だった。(タイトルホルダーズ選手権は1937年~1966年&1972年まで、ウェスタン・オープンは1937年~1967年までメジャー大会であった。)5人目の達成者、ウェブは1999年のデュモーリエ・クラシック → 2002年の全英女子オープンを制覇しているため“スーパー・グランドスラム”と呼ばれたが、これは“過渡期”的な用語と言えよう。(もしインクスターが全英女子オープンを制覇すれば、スーパー・グランドスラム成立の可能性がある。ソレンスタムはデュモーリエ・クラシックで優勝経験がないため、スーパーには該当しない。)女子で(ジョーンズやウッズのように)メジャー4大会に連続優勝をした選手は、現時点では誰もいない。
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| ゴルフまめ知識
タイガー・ウッズ
タイガー・ウッズ(Eldrick “Tiger” Woods, 1975年12月30日 生まれ )とは、アメリカ・カリフォルニア州サイプレス出身のプロゴルファー。
父親アールの手ほどきを受けて、生後9か月からゴルフを始めた。アマチュア時代には全米ジュニア・アマチュア選手権、全米アマチュア選手権にそれぞれ前人未踏の3連覇を達成。
1996年8月27日のプロ転向からわずか10か月余りで、マスターズを含む7大会に優勝を挙げ、21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝いた。2000年全米オープンから2001年マスターズまで、メジャー大会4連覇を達成。ゴルフにおける数々の史上最年少記録を更新してきた選手になる。彼のトレードマークとしてよく知られている赤いシャツは、トーナメントの最終日に着るものである。
“タイガー”は陸軍特殊部隊の将校だった父の命名。ベトナム戦争で行方不明になった南ベトナム軍の戦友、フォン・グエン大佐(Nguyen Phong)を偲び、そのニックネームをもらったという。
黒人プロゴルファーの先駆者にはチャーリー・シフォード(2004年世界ゴルフ殿堂入り)やリー・エルダー、テディー・ローズなどがいるが、メジャー優勝者になった黒人選手はウッズが最初である。エルダーは1975年に黒人ゴルファーとして初のマスターズ出場を果たした人で、1997年のウッズの初優勝の最終ラウンドに立ち会った。
ウッズは20歳代の間に、アメリカPGAツアーで「46勝」(うちメジャー大会10勝、世界ゴルフ選手権10勝を含む)、国際試合で9勝(日本の「ダンロップ・フェニックス選手権」2連覇、ドイツの「ドイツ銀行SAPオープン」3勝などを含む)、総計「55勝」を記録した。
PGAツアーでは、先人ジャック・ニクラスが20歳代の間に挙げた「29勝」を大きく上回った。世界中のプロゴルファーすべてと比較しても異次元と言える図抜けたプレーぶりを見せ、無敵と言ってよい強さを誇る名選手に成長してきた。 趣味はケイブダイビングやバギーレース。
メジャー大会優勝
マスターズ・トーナメント:4勝(1997年、2001年、2002年、2005年)
全米オープン:2勝(2000年、2002年)
全英オープン:3勝(2000年、2005年、2006年)
全米プロゴルフ選手権:3勝(1999年、2000年、2006年)
現時点では通算12勝、単独2位につけている。マスターズ4勝は大会歴代2位タイ。全米プロ3勝は大会歴代3位タイ。2005年の全英オープンにて、すべてのメジャー大会に2勝を挙げる「ダブル・グランドスラム」を達成。
これはジャック・ニクラス以来2人目の偉業となり、先人ニクラスの31歳7か月よりも若い「29歳6か月」での達成となった。また、全てのメジャー大会で3勝を挙げる「トリプル・グランドスラム」にもあと全米オープンの1勝と迫った。
ゴルフメジャー大会優勝記録
1位:18勝 ジャック・ニクラス (マスターズ6勝、全米オープン4勝、全英オープン3勝、全米プロゴルフ選手権5勝)
2位:12勝 タイガー・ウッズ (マスターズ4勝、全米オープン2勝、全英オープン3勝、全米プロゴルフ選手権3勝)
3位:11勝 ウォルター・ヘーゲン (全米オープン2勝、全英オープン4勝、全米プロゴルフ選手権5勝)
4位タイ:9勝 ベン・ホーガン、ゲーリー・プレーヤー
6位:8勝 トム・ワトソン (マスターズ2勝、全米オープン1勝、全英オープン5勝)
略歴
練習中のタイガー・ウッズ1975年 12月30日、アメリカ・カリフォルニア州サイプレスに生まれる。父親アールは米陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」の退役軍人で、母親クルティダはタイ人である。
1991年~1993年 全米ジュニア・アマチュア選手権に3連覇を達成。
1992年 「ニッサン・オープン」でPGAツアー大会に初出場。
1994年~1996年 全米アマチュア選手権に3連覇を達成。“タイガーズ・トリプル”と呼ばれる。
1994年 スタンフォード大学に入学。
1995年 マスターズ・トーナメントに初出場。予選を通過し、第3ラウンドを日本の尾崎将司選手と一緒に回る。
1996年 大学を2年で中退し、8月27日にプロ転向。10月にいきなり2勝を挙げ、世界ランキング33位に躍進。
1997年 4月13日、史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ・トーナメント初優勝。6月に初の世界ランキング1位になる。
9月からアサヒ飲料の缶コーヒー「ワンダ」のTVCMに出演し始める。(ワンダCMは2001年まで)
1998年 11月に「カシオ・ワールド・オープン」で日本ツアー初出場。15位に終わる。
1999年 8月15日、全米プロゴルフ選手権で初優勝。メジャー2冠を獲得する。同年8月末の「NEC招待選手権」から2000年2月の「AT&Tペブルビーチ・ナショナル・プロアマ選手権」まで、PGAツアー6連勝を達成。
2000年 全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権でメジャー大会3連覇。これは1953年のベン・ホーガン以来47年ぶりの快挙だった。PGAツアーで自己最高の年間9勝を記録。第1回「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞など、多数のスポーツ賞を受賞する。
2001年 4月8日、マスターズ・トーナメントで4年ぶり2度目の優勝。メジャー大会4連覇を達成するが、2年にまたがる記録であるため“タイガー・スラム”と呼ばれた。11月15日~18日に日本の「太平洋クラブ御殿場コース」(静岡県御殿場市)で開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に、デビッド・デュバルとのコンビで出場。(この来日を機会に、ウッズの公式サイトが日本語版で読めるようになった。)
2002年 マスターズと全米オープンで優勝。マスターズでの大会連覇は、1989年&1990年の大会を連覇したニック・ファルド以来12年ぶり、大会史上3人目となる。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」で4年ぶり2度目の日本ツアー出場。
2003年 世界ゴルフ選手権の「アクセンチュア・マッチプレー選手権」で初優勝。
2004年 「アクセンチュア・マッチプレー選手権」2連覇。9月7日、それまで「264週」連続で守った世界ランキング1位の座を41歳のビジェイ・シンに譲る。10月5日にスウェーデン人モデルのエリン・ノーデグレンと結婚。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」2年ぶり2度目の出場で日本ツアー初優勝。
2005年 マスターズで4度目、全英オープンで2度目の優勝。全英オープン優勝により「ダブル・グランドスラム」を達成する。11月の「ダンロップ・フェニックス選手権」で横尾要とのプレーオフ(4ホール)を制して大会2連覇。5月第2週の「バイロン・ネルソン・クラシック」で予選落ちを喫し、連続予選通過の歴代1位記録が「142」で止まる不運もあった。
2006年 5月3日、父親アールが前立腺癌のため74歳で死去。6月の全米オープンで予選落ちを喫し、(プロ転向後)1997年のマスターズ以来続けてきたメジャー大会の連続予選通過記録が「37」で止まった。7月23日、全英オープンで2年連続3度目の優勝。全英オープンでの大会連覇は、1982年&1983年の大会を連覇したトム・ワトソン以来23年ぶりとなる。
8月6日の「ビュイック・オープン」優勝により、30歳7ヶ月でPGAツアー通算「50勝」を達成。8月20日、全米プロゴルフ選手権で6年ぶり3度目の優勝。メジャー大会12勝目を挙げ、ウォルター・ヘーゲンを抜いて単独2位になった。
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父親アールの手ほどきを受けて、生後9か月からゴルフを始めた。アマチュア時代には全米ジュニア・アマチュア選手権、全米アマチュア選手権にそれぞれ前人未踏の3連覇を達成。
1996年8月27日のプロ転向からわずか10か月余りで、マスターズを含む7大会に優勝を挙げ、21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝いた。2000年全米オープンから2001年マスターズまで、メジャー大会4連覇を達成。ゴルフにおける数々の史上最年少記録を更新してきた選手になる。彼のトレードマークとしてよく知られている赤いシャツは、トーナメントの最終日に着るものである。
“タイガー”は陸軍特殊部隊の将校だった父の命名。ベトナム戦争で行方不明になった南ベトナム軍の戦友、フォン・グエン大佐(Nguyen Phong)を偲び、そのニックネームをもらったという。
黒人プロゴルファーの先駆者にはチャーリー・シフォード(2004年世界ゴルフ殿堂入り)やリー・エルダー、テディー・ローズなどがいるが、メジャー優勝者になった黒人選手はウッズが最初である。エルダーは1975年に黒人ゴルファーとして初のマスターズ出場を果たした人で、1997年のウッズの初優勝の最終ラウンドに立ち会った。
ウッズは20歳代の間に、アメリカPGAツアーで「46勝」(うちメジャー大会10勝、世界ゴルフ選手権10勝を含む)、国際試合で9勝(日本の「ダンロップ・フェニックス選手権」2連覇、ドイツの「ドイツ銀行SAPオープン」3勝などを含む)、総計「55勝」を記録した。
PGAツアーでは、先人ジャック・ニクラスが20歳代の間に挙げた「29勝」を大きく上回った。世界中のプロゴルファーすべてと比較しても異次元と言える図抜けたプレーぶりを見せ、無敵と言ってよい強さを誇る名選手に成長してきた。 趣味はケイブダイビングやバギーレース。
メジャー大会優勝
マスターズ・トーナメント:4勝(1997年、2001年、2002年、2005年)
全米オープン:2勝(2000年、2002年)
全英オープン:3勝(2000年、2005年、2006年)
全米プロゴルフ選手権:3勝(1999年、2000年、2006年)
現時点では通算12勝、単独2位につけている。マスターズ4勝は大会歴代2位タイ。全米プロ3勝は大会歴代3位タイ。2005年の全英オープンにて、すべてのメジャー大会に2勝を挙げる「ダブル・グランドスラム」を達成。
これはジャック・ニクラス以来2人目の偉業となり、先人ニクラスの31歳7か月よりも若い「29歳6か月」での達成となった。また、全てのメジャー大会で3勝を挙げる「トリプル・グランドスラム」にもあと全米オープンの1勝と迫った。
ゴルフメジャー大会優勝記録
1位:18勝 ジャック・ニクラス (マスターズ6勝、全米オープン4勝、全英オープン3勝、全米プロゴルフ選手権5勝)
2位:12勝 タイガー・ウッズ (マスターズ4勝、全米オープン2勝、全英オープン3勝、全米プロゴルフ選手権3勝)
3位:11勝 ウォルター・ヘーゲン (全米オープン2勝、全英オープン4勝、全米プロゴルフ選手権5勝)
4位タイ:9勝 ベン・ホーガン、ゲーリー・プレーヤー
6位:8勝 トム・ワトソン (マスターズ2勝、全米オープン1勝、全英オープン5勝)
略歴
練習中のタイガー・ウッズ1975年 12月30日、アメリカ・カリフォルニア州サイプレスに生まれる。父親アールは米陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」の退役軍人で、母親クルティダはタイ人である。
1991年~1993年 全米ジュニア・アマチュア選手権に3連覇を達成。
1992年 「ニッサン・オープン」でPGAツアー大会に初出場。
1994年~1996年 全米アマチュア選手権に3連覇を達成。“タイガーズ・トリプル”と呼ばれる。
1994年 スタンフォード大学に入学。
1995年 マスターズ・トーナメントに初出場。予選を通過し、第3ラウンドを日本の尾崎将司選手と一緒に回る。
1996年 大学を2年で中退し、8月27日にプロ転向。10月にいきなり2勝を挙げ、世界ランキング33位に躍進。
1997年 4月13日、史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ・トーナメント初優勝。6月に初の世界ランキング1位になる。
9月からアサヒ飲料の缶コーヒー「ワンダ」のTVCMに出演し始める。(ワンダCMは2001年まで)
1998年 11月に「カシオ・ワールド・オープン」で日本ツアー初出場。15位に終わる。
1999年 8月15日、全米プロゴルフ選手権で初優勝。メジャー2冠を獲得する。同年8月末の「NEC招待選手権」から2000年2月の「AT&Tペブルビーチ・ナショナル・プロアマ選手権」まで、PGAツアー6連勝を達成。
2000年 全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権でメジャー大会3連覇。これは1953年のベン・ホーガン以来47年ぶりの快挙だった。PGAツアーで自己最高の年間9勝を記録。第1回「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞など、多数のスポーツ賞を受賞する。
2001年 4月8日、マスターズ・トーナメントで4年ぶり2度目の優勝。メジャー大会4連覇を達成するが、2年にまたがる記録であるため“タイガー・スラム”と呼ばれた。11月15日~18日に日本の「太平洋クラブ御殿場コース」(静岡県御殿場市)で開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に、デビッド・デュバルとのコンビで出場。(この来日を機会に、ウッズの公式サイトが日本語版で読めるようになった。)
2002年 マスターズと全米オープンで優勝。マスターズでの大会連覇は、1989年&1990年の大会を連覇したニック・ファルド以来12年ぶり、大会史上3人目となる。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」で4年ぶり2度目の日本ツアー出場。
2003年 世界ゴルフ選手権の「アクセンチュア・マッチプレー選手権」で初優勝。
2004年 「アクセンチュア・マッチプレー選手権」2連覇。9月7日、それまで「264週」連続で守った世界ランキング1位の座を41歳のビジェイ・シンに譲る。10月5日にスウェーデン人モデルのエリン・ノーデグレンと結婚。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」2年ぶり2度目の出場で日本ツアー初優勝。
2005年 マスターズで4度目、全英オープンで2度目の優勝。全英オープン優勝により「ダブル・グランドスラム」を達成する。11月の「ダンロップ・フェニックス選手権」で横尾要とのプレーオフ(4ホール)を制して大会2連覇。5月第2週の「バイロン・ネルソン・クラシック」で予選落ちを喫し、連続予選通過の歴代1位記録が「142」で止まる不運もあった。
2006年 5月3日、父親アールが前立腺癌のため74歳で死去。6月の全米オープンで予選落ちを喫し、(プロ転向後)1997年のマスターズ以来続けてきたメジャー大会の連続予選通過記録が「37」で止まった。7月23日、全英オープンで2年連続3度目の優勝。全英オープンでの大会連覇は、1982年&1983年の大会を連覇したトム・ワトソン以来23年ぶりとなる。
8月6日の「ビュイック・オープン」優勝により、30歳7ヶ月でPGAツアー通算「50勝」を達成。8月20日、全米プロゴルフ選手権で6年ぶり3度目の優勝。メジャー大会12勝目を挙げ、ウォルター・ヘーゲンを抜いて単独2位になった。
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横峯さくら
横峯 さくら(よこみね さくら、1985年12月13日生まれ )とは、鹿児島県鹿屋市出身の女子プロゴルファーである。
身長155cm。血液型はAB型。サニーヘルス所属。ゴルフ好きの父親横峯良郎の影響で8歳からゴルフを始める。長姉横峯留衣もプロ。鹿屋市立田崎小学校 ・ 田崎中学校、明徳義塾高等学校卒業。
記録
2002年、日本ジュニア(15〜17歳女子の部)、サンスポ女子アマ優勝。2004年4月には「再春館レディース」で不動裕理らとプレーオフを演じた。8月プロテスト合格、チャレンジツアー(下部ツアー)の「穴吹工務店レディースカップ」でプロ初優勝。12月、当該年度のプロテスト合格者による「日本女子プロゴルフ新人戦・加賀電子カップ」優勝。
2004年の獲得賞金は17,347,584円で27位。
プロテストには2位で合格したため、当初はツアーの残りのうち前年成績によるものを含め3試合しか出場権を得られなかった。しかしデビュー戦の「フジサンケイレディスクラシック」で4位に入ると、続く2試合も10位、2位と健闘。更には「穴吹工務店レディースカップ」での優勝でツアー3試合の出場権を獲得、その試合も活躍し2005年のシード権を得た。
2005年1月には米男子ゴルフ「ハワイ・パール・オープン」に参戦。予選で一時暫定5位につけるなど健闘し、通算6アンダーで17位(優勝記録は14アンダー)。ドライバーは男子顔負けの飛距離で、地元紙などで絶賛された。同大会では前年にミシェル・ウィー(アメリカ)が38位に入ったが、これを大きく塗り替える記録となった。
2005年4月8-10日の「スタジオアリス女子オープン」はトップで最終日を迎えたがスコアを大きく落としこの大会での初優勝はならなかった。しかしその1週間後、前大会までキャディを務めていた本仮屋沙織に代わり父親がキャディーの下、15-17日に行われた「ライフカードレディス」で、念願の国内女子ツアー初優勝を決めた。
初優勝後はなかなか優勝争いに加わることができず、予選落ちも経験したが、2005年9月23-25日に行われた「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で見事2勝目を上げた。しかも父親以外のキャディーでの優勝ということもあり、プロゴルファーとして自立への一歩となった。
2005年度ツアーの獲得賞金は69,347,016円で4位。
特徴
テイクバックでヘッドが地面を刺すほどの超オーバースイングが特徴。素人はおろか、他のプロにも真似のできない独特のスイングは、父・良郎がゴルフプロでなかったからこそ生み出されたものだと言える。
横峯は小学4年生で出場した全国小学生大会で優勝している。この時2位だったのが宮里藍。宮里とは同学年で、中学、高校と凌ぎを削った良きライバルである。女子ゴルフ新世代を担う2人として大いに期待されている。
2004年、イチローの名付け親の仰木彬の勧めで、翌シーズンの選手登録名を「さくら」で申請したが、認められなかった。
2005年、マイクロダイエットで有名なサニーヘルス(株)と所属契約を結ぶ。
2005年プロ野球オリックス・バファローズの春キャンプ紅白戦MVP加藤大輔に横峯さくらと1日デート権が贈られた。
2005年ツアー第1戦「ダイキンオーキッドレディス」の最終日を72以下で回ることができず父親に罰金290万円を科された。
賞金は父が管理し、成績に応じて「給料」が支払われる。「ライフカードレディス」で国内女子ツアー初優勝したときの賞金10,800,000円は父親と折半し、全額の5%に当たる約50万円を専属キャディーである本仮屋沙織に支給している。これは、横峯さくらの取り分から控除している。
「有限会社さくら」の社員。社長は父、副社長は母、社員に他姉2人。横峯の名前が有名になってからは「さくらゴルフアカデミー」という中学生を対象とした食堂・浴室付き全寮制の練習場を父親が立ち上げた。ただし、横峯さくらが教えに来る訳ではない。
故郷、鹿屋市には父親が山林を切り開いて作った専用練習場がある。その恵まれた環境を生かして全長20m、幅5cmの竹をドライバーで打って割る「竹割り特訓」という練習法を行っている。横峯はこれを3回目でクリアした。
2005年3月、各地へ移動するための空港も港も至近距離にあり、かつゴルフを練習する環境にも恵まれている宮崎市に移住した。
父親である横峯良郎がガミガミうるさいらしく、よく良郎のことを「ウザい」とマスコミの前で言うことがあったり、キャディを務める父と試合中に大げんかして父を蹴る姿も目撃されている。
「めちゃ2イケてるッ!」の企画でナインティナインの岡村隆史と対決した際に、岡村側のキャディーである良郎が文句を付けてきたために「ウザいんだけど…」と発言していた。ただそこまで嫌っているというほどではなく、父娘でのCM競演を果たしたり今でもキャディを務めたりしている。ちなみに岡村はこのゴルフ対決以降、ゴルフに夢中になり良郎とゴルフを回ったりしているらしい。
高校時代に靭帯を断裂する大怪我をして選手生命の危機となったが、怪我で練習ができなかった際、父・良郎が「椅子に座って打て!」という無理難題をさくらに課した。そのおかげで治癒後、ドライバーの飛距離は落ちるどころか逆に20ヤード伸びた。
優勝記録
2005年
ライフカードレディスゴルフトーナメント
ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
2006年
ニチレイレディス
ベルーナレディースカップゴルフトーナメント
LPGAツアーチャンピオンシップ
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身長155cm。血液型はAB型。サニーヘルス所属。ゴルフ好きの父親横峯良郎の影響で8歳からゴルフを始める。長姉横峯留衣もプロ。鹿屋市立田崎小学校 ・ 田崎中学校、明徳義塾高等学校卒業。
記録
2002年、日本ジュニア(15〜17歳女子の部)、サンスポ女子アマ優勝。2004年4月には「再春館レディース」で不動裕理らとプレーオフを演じた。8月プロテスト合格、チャレンジツアー(下部ツアー)の「穴吹工務店レディースカップ」でプロ初優勝。12月、当該年度のプロテスト合格者による「日本女子プロゴルフ新人戦・加賀電子カップ」優勝。
2004年の獲得賞金は17,347,584円で27位。
プロテストには2位で合格したため、当初はツアーの残りのうち前年成績によるものを含め3試合しか出場権を得られなかった。しかしデビュー戦の「フジサンケイレディスクラシック」で4位に入ると、続く2試合も10位、2位と健闘。更には「穴吹工務店レディースカップ」での優勝でツアー3試合の出場権を獲得、その試合も活躍し2005年のシード権を得た。
2005年1月には米男子ゴルフ「ハワイ・パール・オープン」に参戦。予選で一時暫定5位につけるなど健闘し、通算6アンダーで17位(優勝記録は14アンダー)。ドライバーは男子顔負けの飛距離で、地元紙などで絶賛された。同大会では前年にミシェル・ウィー(アメリカ)が38位に入ったが、これを大きく塗り替える記録となった。
2005年4月8-10日の「スタジオアリス女子オープン」はトップで最終日を迎えたがスコアを大きく落としこの大会での初優勝はならなかった。しかしその1週間後、前大会までキャディを務めていた本仮屋沙織に代わり父親がキャディーの下、15-17日に行われた「ライフカードレディス」で、念願の国内女子ツアー初優勝を決めた。
初優勝後はなかなか優勝争いに加わることができず、予選落ちも経験したが、2005年9月23-25日に行われた「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で見事2勝目を上げた。しかも父親以外のキャディーでの優勝ということもあり、プロゴルファーとして自立への一歩となった。
2005年度ツアーの獲得賞金は69,347,016円で4位。
特徴
テイクバックでヘッドが地面を刺すほどの超オーバースイングが特徴。素人はおろか、他のプロにも真似のできない独特のスイングは、父・良郎がゴルフプロでなかったからこそ生み出されたものだと言える。
横峯は小学4年生で出場した全国小学生大会で優勝している。この時2位だったのが宮里藍。宮里とは同学年で、中学、高校と凌ぎを削った良きライバルである。女子ゴルフ新世代を担う2人として大いに期待されている。
2004年、イチローの名付け親の仰木彬の勧めで、翌シーズンの選手登録名を「さくら」で申請したが、認められなかった。
2005年、マイクロダイエットで有名なサニーヘルス(株)と所属契約を結ぶ。
2005年プロ野球オリックス・バファローズの春キャンプ紅白戦MVP加藤大輔に横峯さくらと1日デート権が贈られた。
2005年ツアー第1戦「ダイキンオーキッドレディス」の最終日を72以下で回ることができず父親に罰金290万円を科された。
賞金は父が管理し、成績に応じて「給料」が支払われる。「ライフカードレディス」で国内女子ツアー初優勝したときの賞金10,800,000円は父親と折半し、全額の5%に当たる約50万円を専属キャディーである本仮屋沙織に支給している。これは、横峯さくらの取り分から控除している。
「有限会社さくら」の社員。社長は父、副社長は母、社員に他姉2人。横峯の名前が有名になってからは「さくらゴルフアカデミー」という中学生を対象とした食堂・浴室付き全寮制の練習場を父親が立ち上げた。ただし、横峯さくらが教えに来る訳ではない。
故郷、鹿屋市には父親が山林を切り開いて作った専用練習場がある。その恵まれた環境を生かして全長20m、幅5cmの竹をドライバーで打って割る「竹割り特訓」という練習法を行っている。横峯はこれを3回目でクリアした。
2005年3月、各地へ移動するための空港も港も至近距離にあり、かつゴルフを練習する環境にも恵まれている宮崎市に移住した。
父親である横峯良郎がガミガミうるさいらしく、よく良郎のことを「ウザい」とマスコミの前で言うことがあったり、キャディを務める父と試合中に大げんかして父を蹴る姿も目撃されている。
「めちゃ2イケてるッ!」の企画でナインティナインの岡村隆史と対決した際に、岡村側のキャディーである良郎が文句を付けてきたために「ウザいんだけど…」と発言していた。ただそこまで嫌っているというほどではなく、父娘でのCM競演を果たしたり今でもキャディを務めたりしている。ちなみに岡村はこのゴルフ対決以降、ゴルフに夢中になり良郎とゴルフを回ったりしているらしい。
高校時代に靭帯を断裂する大怪我をして選手生命の危機となったが、怪我で練習ができなかった際、父・良郎が「椅子に座って打て!」という無理難題をさくらに課した。そのおかげで治癒後、ドライバーの飛距離は落ちるどころか逆に20ヤード伸びた。
優勝記録
2005年
ライフカードレディスゴルフトーナメント
ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
2006年
ニチレイレディス
ベルーナレディースカップゴルフトーナメント
LPGAツアーチャンピオンシップ
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宮里藍
宮里 藍(みやざと あい、1985年6月19日 生まれ)とは、沖縄県国頭郡東村出身の女子プロゴルファーである。愛称は「藍ちゃん」。サントリー所属。血液型B型。
人物・来歴
宮里家は3人兄弟の家族で、藍は末の妹である。「藍」の名前の由来は父が辞書で調べると最初の方に出てくる名前でトップがとれるようにという理由とのこと。次兄の宮里優作が、仙台市にあるゴルフの名門・東北福祉大学在学中に「日本学生ゴルフ選手権」で3連覇するなど活躍していたこともあり、藍も優作を追う形で沖縄を出て、仙台市にある東北高校に進学した。
宮里藍は、高校在学中のアマチュア時代からプロトーナメントに参加し、上位に食い込む活躍を始めた。高校3年の時に、地元仙台で開催された「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」で優勝し、2003年10月にプロ宣言をする。こうして彼女は史上初の高校生プロゴルファーとなった。長兄の宮里聖志は、2004年12月の「アジア・ジャパン沖縄オープン」でプロゴルファーとしての初優勝を果たしている。
ちなみに、プロ宣言直後の2003年10月26日、この日よりJR東日本のSuicaが仙台地区でのサービスが開始され、仙台駅でそれを記念するイベントが開催された。宮里もイベントに参加し、当時の浅野史郎宮城県知事らとともにステージに特設された改札機をsuicaを使って通り、アピールに一役買っている。
2004年11月の「エリエールレディスオープン」で優勝し、年間獲得賞金額が1億円を突破。国内女子ツアーでは不動裕理以来2人目の快挙を達成した。この年賞金女王は逃したが、ツアー5勝を挙げ、賞金ランキング2位に入る。2004年日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞する。
男子も含めゴルフ人気は長く低迷していたが、宮里藍のライバルの横峯さくらとともに女子プロゴルフ界のニュー・ヒロインとして注目され、テレビ中継の視聴率が10%を超えるなどゴルフ人気の復活に貢献した。
2005年2月11日〜13日、第1回ワールドカップ女子ゴルフ(南アフリカ)に日本代表として出場し、韓国・アメリカ・オーストラリアなどの強豪国を抑えて優勝した。最終日はそれまで絶好調でチームを引っ張ってきたペアの北田瑠衣が終始不調であったが、それを補って余りあるバーディーラッシュを見せた。(ただし、この大会に世界最強のアニカ・ソレンスタムは出場しなかった。)
メジャー大会では、初挑戦だった2004年7月末の全英女子オープンは予選落ちするも、翌2005年には11位タイでフィニッシュ、2006年の出場資格を獲得した。2005年度の女子メジャー大会第1戦クラフト・ナビスコ選手権で予選を通過し、同年7月末の最終戦全英女子オープンでメジャー自己最高の11位に入った。6月末の「世界女子マッチプレー選手権」では3回戦まで進出している。
2005年10月に開かれた日本女子オープンゴルフ選手権競技において、感涙の公式戦初優勝を達成、史上最年少の20歳3ヶ月でのツアー通算10勝、並びに同大会史上最年少優勝も獲得した。この大会の最終日、2005年10月2日は“藍ちゃん人気”も手伝ってギャラリー数が史上初めて2万人を越え、また大会全体でも4万人の大観衆を集めた。この後も10月末の「樋口久子IDC大塚家具レディス」に勝ち、11月の「エリエールレディスオープン」大会2連覇も達成している。
米国LPGAツアーへの参戦を目指してツアー出場資格を懸けた最終予選会(2005年11月〜12月・米フロリダ州デイトナビーチ)に出場。5日間90ホールの厳しい戦いを、トータル17アンダー、2位と12打差と圧勝、1位で2006年のLPGAツアーカードを取。これらの数字は予選会が5日間となった昨年の1位ポーラ・クリーマーの11アンダーを上回り、また1973年に予選会の制度ができてからの2位との差の新記録である。2006年度はロサンゼルスを拠点に、米国ツアーを主戦場とする予定。
宮城県及び東北地方のブロック紙河北新報ではその活躍ぶりを宮城県関連のニュースとして報道されている。(出身高校の関係で)
一見大きく見えるが、身長が意外にも155.3cmしかない。
同じ沖縄出身の元Folder5・AKINA(宮里明那)と生年月日が同じ。
優勝記録
2003年
ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
2004年
ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント
サントリーレディスオープンゴルフ
アピタ・サークルK・サンクスレディス
マスターズGCレディース
大王製紙エリエールレディスオープン
2005年
女子ワールドカップ
ヴァーナルレディース
中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン
新キャタピラー三菱レディース
日本女子オープンゴルフ選手権競技
樋口久子IDC大塚家具レディス
大王製紙エリエールレディスオープン
2006年
日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯
ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
人物・来歴
宮里家は3人兄弟の家族で、藍は末の妹である。「藍」の名前の由来は父が辞書で調べると最初の方に出てくる名前でトップがとれるようにという理由とのこと。次兄の宮里優作が、仙台市にあるゴルフの名門・東北福祉大学在学中に「日本学生ゴルフ選手権」で3連覇するなど活躍していたこともあり、藍も優作を追う形で沖縄を出て、仙台市にある東北高校に進学した。
宮里藍は、高校在学中のアマチュア時代からプロトーナメントに参加し、上位に食い込む活躍を始めた。高校3年の時に、地元仙台で開催された「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」で優勝し、2003年10月にプロ宣言をする。こうして彼女は史上初の高校生プロゴルファーとなった。長兄の宮里聖志は、2004年12月の「アジア・ジャパン沖縄オープン」でプロゴルファーとしての初優勝を果たしている。
ちなみに、プロ宣言直後の2003年10月26日、この日よりJR東日本のSuicaが仙台地区でのサービスが開始され、仙台駅でそれを記念するイベントが開催された。宮里もイベントに参加し、当時の浅野史郎宮城県知事らとともにステージに特設された改札機をsuicaを使って通り、アピールに一役買っている。
2004年11月の「エリエールレディスオープン」で優勝し、年間獲得賞金額が1億円を突破。国内女子ツアーでは不動裕理以来2人目の快挙を達成した。この年賞金女王は逃したが、ツアー5勝を挙げ、賞金ランキング2位に入る。2004年日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞する。
男子も含めゴルフ人気は長く低迷していたが、宮里藍のライバルの横峯さくらとともに女子プロゴルフ界のニュー・ヒロインとして注目され、テレビ中継の視聴率が10%を超えるなどゴルフ人気の復活に貢献した。
2005年2月11日〜13日、第1回ワールドカップ女子ゴルフ(南アフリカ)に日本代表として出場し、韓国・アメリカ・オーストラリアなどの強豪国を抑えて優勝した。最終日はそれまで絶好調でチームを引っ張ってきたペアの北田瑠衣が終始不調であったが、それを補って余りあるバーディーラッシュを見せた。(ただし、この大会に世界最強のアニカ・ソレンスタムは出場しなかった。)
メジャー大会では、初挑戦だった2004年7月末の全英女子オープンは予選落ちするも、翌2005年には11位タイでフィニッシュ、2006年の出場資格を獲得した。2005年度の女子メジャー大会第1戦クラフト・ナビスコ選手権で予選を通過し、同年7月末の最終戦全英女子オープンでメジャー自己最高の11位に入った。6月末の「世界女子マッチプレー選手権」では3回戦まで進出している。
2005年10月に開かれた日本女子オープンゴルフ選手権競技において、感涙の公式戦初優勝を達成、史上最年少の20歳3ヶ月でのツアー通算10勝、並びに同大会史上最年少優勝も獲得した。この大会の最終日、2005年10月2日は“藍ちゃん人気”も手伝ってギャラリー数が史上初めて2万人を越え、また大会全体でも4万人の大観衆を集めた。この後も10月末の「樋口久子IDC大塚家具レディス」に勝ち、11月の「エリエールレディスオープン」大会2連覇も達成している。
米国LPGAツアーへの参戦を目指してツアー出場資格を懸けた最終予選会(2005年11月〜12月・米フロリダ州デイトナビーチ)に出場。5日間90ホールの厳しい戦いを、トータル17アンダー、2位と12打差と圧勝、1位で2006年のLPGAツアーカードを取。これらの数字は予選会が5日間となった昨年の1位ポーラ・クリーマーの11アンダーを上回り、また1973年に予選会の制度ができてからの2位との差の新記録である。2006年度はロサンゼルスを拠点に、米国ツアーを主戦場とする予定。
宮城県及び東北地方のブロック紙河北新報ではその活躍ぶりを宮城県関連のニュースとして報道されている。(出身高校の関係で)
一見大きく見えるが、身長が意外にも155.3cmしかない。
同じ沖縄出身の元Folder5・AKINA(宮里明那)と生年月日が同じ。
優勝記録
2003年
ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
2004年
ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント
サントリーレディスオープンゴルフ
アピタ・サークルK・サンクスレディス
マスターズGCレディース
大王製紙エリエールレディスオープン
2005年
女子ワールドカップ
ヴァーナルレディース
中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン
新キャタピラー三菱レディース
日本女子オープンゴルフ選手権競技
樋口久子IDC大塚家具レディス
大王製紙エリエールレディスオープン
2006年
日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯
ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
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ミシェル・ウィー
ミシェル・ウィー(Michelle Wie, 1989年10月11日 生まれ )とは、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の韓国系米国人の女子ゴルファーである。
韓国語名はウィ・ソンミ(위성미)。
女子ゴルフ界において存在感の大きい若手スター選手。
プロフィール
大韓民国出身の両親の間に生まれる。
長身を生かした抜群の飛距離を大きな持ち味とする。
身長183cm、体重65kg。
父親は、ハワイ大学の教授を務めている。
ハワイ州オアフ島のプナホ高校卒業。
略歴
アマチュア
4歳からゴルフを始め、父親の指導を受ける。5歳の時にはドライバーショットで100ヤード飛ばしたという。2002年からプロ選手のトーナメントに挑戦を始める。2004年1月、故郷の大会である「ソニーオープン・イン・ハワイ」でPGAツアーの男子大会に出場する。
2日間を「72・68」のスコアで回り、第2ラウンドを60台のスコアで回ったことで注目を集めたが、予選通過ラインに1打及ばなかった。同年3月のクラフト・ナビスコ選手権で4位入賞。
これらの活躍を評価され、14歳のアマチュア選手でありながら、5月に第5回「ローレウス・スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を授与された。そして全米女子オープンでは、過去に前例のない「予選免除」での出場を認められた。
2005年には全米女子プロゴルフ選手権で主催者推薦出場を認められ、15歳にして2位入賞。7月第3週に行われた男子のアマチュア大会「全米アマチュア・パブリック・リンクス」にて準々決勝進出。
(この大会の優勝者にはマスターズの招待資格が与えられるため、ウィーは女子選手初の同大会出場を狙っていた)全英女子オープンにも「特別招待選手」として出場し、3位に入った。
プロ
2005年10月5日、16歳の誕生日の6日前にホノルルでプロ転向を表明した。プロ転向初戦となった「サムソン・ワールド・チャンピオンシップ」ではスコアの過少申告(第3ラウンド、7番ホール)で失格となる。
11月に高知県の「Kochi黒潮カントリークラブ」で行われた日本ゴルフツアーの男子大会「カシオワールドオープン」でも、4オーバーパー(+4, 148ストローク)で予選を通過できなかった。
女子プロゴルフ協会(LPGA)のルールでは「18歳未満の選手を賞金ランキングに記載しない」規定があり、ウィーは2007年10月ころまで(ツアーのルール上)いくらかの出場試合制限がある。
アメリカの雑誌フォーブスが選出した2006年版の「世界の名士100人」に最年少で選出され、そこで2005年6月からの1年間で1700万ドルを得たと報じられた。これは女子スポーツ選手としてはマリア・シャラポワに次ぐ2番目の高収入である。
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韓国語名はウィ・ソンミ(위성미)。
女子ゴルフ界において存在感の大きい若手スター選手。
プロフィール
大韓民国出身の両親の間に生まれる。
長身を生かした抜群の飛距離を大きな持ち味とする。
身長183cm、体重65kg。
父親は、ハワイ大学の教授を務めている。
ハワイ州オアフ島のプナホ高校卒業。
略歴
アマチュア
4歳からゴルフを始め、父親の指導を受ける。5歳の時にはドライバーショットで100ヤード飛ばしたという。2002年からプロ選手のトーナメントに挑戦を始める。2004年1月、故郷の大会である「ソニーオープン・イン・ハワイ」でPGAツアーの男子大会に出場する。
2日間を「72・68」のスコアで回り、第2ラウンドを60台のスコアで回ったことで注目を集めたが、予選通過ラインに1打及ばなかった。同年3月のクラフト・ナビスコ選手権で4位入賞。
これらの活躍を評価され、14歳のアマチュア選手でありながら、5月に第5回「ローレウス・スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を授与された。そして全米女子オープンでは、過去に前例のない「予選免除」での出場を認められた。
2005年には全米女子プロゴルフ選手権で主催者推薦出場を認められ、15歳にして2位入賞。7月第3週に行われた男子のアマチュア大会「全米アマチュア・パブリック・リンクス」にて準々決勝進出。
(この大会の優勝者にはマスターズの招待資格が与えられるため、ウィーは女子選手初の同大会出場を狙っていた)全英女子オープンにも「特別招待選手」として出場し、3位に入った。
プロ
2005年10月5日、16歳の誕生日の6日前にホノルルでプロ転向を表明した。プロ転向初戦となった「サムソン・ワールド・チャンピオンシップ」ではスコアの過少申告(第3ラウンド、7番ホール)で失格となる。
11月に高知県の「Kochi黒潮カントリークラブ」で行われた日本ゴルフツアーの男子大会「カシオワールドオープン」でも、4オーバーパー(+4, 148ストローク)で予選を通過できなかった。
女子プロゴルフ協会(LPGA)のルールでは「18歳未満の選手を賞金ランキングに記載しない」規定があり、ウィーは2007年10月ころまで(ツアーのルール上)いくらかの出場試合制限がある。
アメリカの雑誌フォーブスが選出した2006年版の「世界の名士100人」に最年少で選出され、そこで2005年6月からの1年間で1700万ドルを得たと報じられた。これは女子スポーツ選手としてはマリア・シャラポワに次ぐ2番目の高収入である。
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ゴルフ用具
クラブの使用は、一人14本までに制限されている。通常のクラブセットは、ウッドと呼ばれるクラブが3、4本、にアイアンと呼ばれるクラブが8、9本、パターが1本の組み合わせが多い。
各クラブはそれぞれ想定された飛距離を打ちやすく作られており、プレーヤーは長い距離を打つ場合と短い距離を打つ場合でクラブを使い分けるのである。長さが長いクラブほど長距離を打て、短いクラブでは短い距離を狙うのである。通常、長いクラブほど扱いが難しくなる。
ヘッドの打撃面(クラブフェイス)にはロフト角と呼ばれる角度がつけられている。この角度により、正しいスイングを行えばボールは上昇する仕組みとなっている。角度が大きいほどボールは高く上がり、その代わり距離は飛ばない。
クラブは、ヘッド、シャフト及びグリップの各部分から構成される。ヘッドは、ウッドにあっては従来は、パーシモン(柿の木)など木製が使われ名称の語源となっていたが、近年はチタンなどメタル製やカーボンとメタルの複合製に取って代わらた。
シャフトも、従前のヒッコリー(木製)シャフトから変化し、ステンレス製やカーボン製、グラスファイバー製のものが採用されている。グリップには、滑り止めのため皮革やゴム等が巻かれている。
クラブは大きくウッドとアイアンに区別されるが、アイアンとウッドの中間的特性持つユーティリティと呼ばれるクラブも存在し、クラブのセッティングをゴルファーの特徴に合わせて多彩にしている。
クラブには「3番」「5番」などの番手が付けられており、番号が大きくなるほど短い距離を打つためにデザインされている。
ウッド
従来は、ヘッドはパーシモン(柿の木)など木製が主流であったが、最近はチタンなどメタル製やカーボンとメタルの複合製に取って代わらた。金属製であっても、呼称は従前と同じくウッド(木)と呼ばれる。
1番ウッド(ドライバー)
飛距離が出るため、長いコースでの第1打に使用される。
2番ウッド(ブラッシー)
近年では使用する競技者は少ない。
3番ウッド(スプーン)
4番ウッド(バッフィ)
5番ウッド(クリーク)
6-9番ウッド (ユーティリティー)
1番ウッド以外を総称してフェアウェイウッドと呼ばれることもある。その名のとおり、フェアウェイで使用されることがしばしばである。
アイアン
アイアンのうち、特に大きな角度をつけられた短距離用のクラブをウェッジと呼び、グリーン近くで使用する専用のクラブを、ピッチングウエッジと呼ぶ。また、バンカーと呼ばれる砂場からの脱出用クラブとしてデザインされたサンドウエッジがある。
1番-9番アイアン
近年、1番や2番アイアンは、プロの間でもほとんど使われなくなった。これは長く重いアイアンを打つのが難しいためで、より打ちやすくデザインされたクラブ(ウッドの7番や9番など)を使用するプレーヤーが増加したためである。アマチュア向けでは、3番、4番アイアンがクラブセットから除外される事も多くなっている。
ピッチングウエッジ
グリーンへの寄せの際によく使用されるクラブ。
アプローチウエッジ
ピッチングウエッジとサンドウエッジの中間のロフト角を持つ。ピッチングサンド、フェアウェイウエッジとも呼ばれる。(1番-9番アイアンがストロングロフト化したために、生れたクラブと言える)
サンドウエッジ
バンカーからの脱出の際に使用されるクラブ。
ロブウエッジ
近年グリーンへの寄せ専用のクラブが増えてきている。名称は各社さまざまであるが、寄せのためのクラブである。ソールには、ロフト角がそのまま刻印されるものが多い。
パター
グリーン上では、通常パターと呼ばれるクラブを使用する。パターは通常アイアンとは呼ばない。2000年頃からシャフトが非常に長い長尺パターが登場している。
ゴルフにおいては、距離が長かろうと短かろうと1打は1打でしかない。飛距離の出る選手は有利であるが、それだけでは勝利者とはなれない。プロのトーナメントでは結果的に数十cmのパッティングが大きな賞金額の差となることが往々にしてある。
クラブのスペックの名称
クラブ長さ、クラブ重さ、バランス
ロフト角、ライ角、ヘッド体積、重心深度、重心距離、慣性モーメント、反発係数
シャフト、シャフトフレックス、シャフト重さ、シャフトトルク、シャフト調子
ゴルフボール
球の直径は1.680インチ以上と定められている。
その他
ゴルフバッグ クラブ等用具を持ち運ぶために使用する。
グローブ 所謂手袋である。右利きならば左手のみに使用する場合が多い。
スパイク 下が草(芝)のためスパイクは必須である。金属ポイントのものとポイントレス(プラスチックポイント)のものとがある。ゴルフ場によっては金属ポイントを禁止しているところもある。いずれにせよ、グリーンを傷つけずに歩くことは重要なマナーである。
ティーティー ティーショットの際にボールを持ち上げて打ちやすくするための道具。5-10cmの長さがある。材質はプラスチックと木がある。パー3などでアイアンでティーショットを行う場合には使用しないこともある。ティーを持ち運ぶためのティーホルダーを使う人もいる。
マーク 主にグリーン上でボールを取り上げる際に、代わりに目印として置いておくもの。金属かプラスチック製で1cmほどの大きさ。グリーンを参照。
カート ゴルフバッグを運ぶための車。アマチュアではキャディがいても4人1組の競技者に対して1人の場合がほとんどであり、キャディがいないこともよくある。そのために、ゴルフバッグを運ぶための車である。
アメリカやイギリスでは競技者が自分のゴルフバッグだけを載せて自分で動かしていくカートがよく見られる。日本では4人分のゴルフバッグが全て積み込め、電動で動くカートがよく見られる。4人の競技者も乗り込める乗用カートもある。
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各クラブはそれぞれ想定された飛距離を打ちやすく作られており、プレーヤーは長い距離を打つ場合と短い距離を打つ場合でクラブを使い分けるのである。長さが長いクラブほど長距離を打て、短いクラブでは短い距離を狙うのである。通常、長いクラブほど扱いが難しくなる。
ヘッドの打撃面(クラブフェイス)にはロフト角と呼ばれる角度がつけられている。この角度により、正しいスイングを行えばボールは上昇する仕組みとなっている。角度が大きいほどボールは高く上がり、その代わり距離は飛ばない。
クラブは、ヘッド、シャフト及びグリップの各部分から構成される。ヘッドは、ウッドにあっては従来は、パーシモン(柿の木)など木製が使われ名称の語源となっていたが、近年はチタンなどメタル製やカーボンとメタルの複合製に取って代わらた。
シャフトも、従前のヒッコリー(木製)シャフトから変化し、ステンレス製やカーボン製、グラスファイバー製のものが採用されている。グリップには、滑り止めのため皮革やゴム等が巻かれている。
クラブは大きくウッドとアイアンに区別されるが、アイアンとウッドの中間的特性持つユーティリティと呼ばれるクラブも存在し、クラブのセッティングをゴルファーの特徴に合わせて多彩にしている。
クラブには「3番」「5番」などの番手が付けられており、番号が大きくなるほど短い距離を打つためにデザインされている。
ウッド
従来は、ヘッドはパーシモン(柿の木)など木製が主流であったが、最近はチタンなどメタル製やカーボンとメタルの複合製に取って代わらた。金属製であっても、呼称は従前と同じくウッド(木)と呼ばれる。
1番ウッド(ドライバー)
飛距離が出るため、長いコースでの第1打に使用される。
2番ウッド(ブラッシー)
近年では使用する競技者は少ない。
3番ウッド(スプーン)
4番ウッド(バッフィ)
5番ウッド(クリーク)
6-9番ウッド (ユーティリティー)
1番ウッド以外を総称してフェアウェイウッドと呼ばれることもある。その名のとおり、フェアウェイで使用されることがしばしばである。
アイアン
アイアンのうち、特に大きな角度をつけられた短距離用のクラブをウェッジと呼び、グリーン近くで使用する専用のクラブを、ピッチングウエッジと呼ぶ。また、バンカーと呼ばれる砂場からの脱出用クラブとしてデザインされたサンドウエッジがある。
1番-9番アイアン
近年、1番や2番アイアンは、プロの間でもほとんど使われなくなった。これは長く重いアイアンを打つのが難しいためで、より打ちやすくデザインされたクラブ(ウッドの7番や9番など)を使用するプレーヤーが増加したためである。アマチュア向けでは、3番、4番アイアンがクラブセットから除外される事も多くなっている。
ピッチングウエッジ
グリーンへの寄せの際によく使用されるクラブ。
アプローチウエッジ
ピッチングウエッジとサンドウエッジの中間のロフト角を持つ。ピッチングサンド、フェアウェイウエッジとも呼ばれる。(1番-9番アイアンがストロングロフト化したために、生れたクラブと言える)
サンドウエッジ
バンカーからの脱出の際に使用されるクラブ。
ロブウエッジ
近年グリーンへの寄せ専用のクラブが増えてきている。名称は各社さまざまであるが、寄せのためのクラブである。ソールには、ロフト角がそのまま刻印されるものが多い。
パター
グリーン上では、通常パターと呼ばれるクラブを使用する。パターは通常アイアンとは呼ばない。2000年頃からシャフトが非常に長い長尺パターが登場している。
ゴルフにおいては、距離が長かろうと短かろうと1打は1打でしかない。飛距離の出る選手は有利であるが、それだけでは勝利者とはなれない。プロのトーナメントでは結果的に数十cmのパッティングが大きな賞金額の差となることが往々にしてある。
クラブのスペックの名称
クラブ長さ、クラブ重さ、バランス
ロフト角、ライ角、ヘッド体積、重心深度、重心距離、慣性モーメント、反発係数
シャフト、シャフトフレックス、シャフト重さ、シャフトトルク、シャフト調子
ゴルフボール
球の直径は1.680インチ以上と定められている。
その他
ゴルフバッグ クラブ等用具を持ち運ぶために使用する。
グローブ 所謂手袋である。右利きならば左手のみに使用する場合が多い。
スパイク 下が草(芝)のためスパイクは必須である。金属ポイントのものとポイントレス(プラスチックポイント)のものとがある。ゴルフ場によっては金属ポイントを禁止しているところもある。いずれにせよ、グリーンを傷つけずに歩くことは重要なマナーである。
ティーティー ティーショットの際にボールを持ち上げて打ちやすくするための道具。5-10cmの長さがある。材質はプラスチックと木がある。パー3などでアイアンでティーショットを行う場合には使用しないこともある。ティーを持ち運ぶためのティーホルダーを使う人もいる。
マーク 主にグリーン上でボールを取り上げる際に、代わりに目印として置いておくもの。金属かプラスチック製で1cmほどの大きさ。グリーンを参照。
カート ゴルフバッグを運ぶための車。アマチュアではキャディがいても4人1組の競技者に対して1人の場合がほとんどであり、キャディがいないこともよくある。そのために、ゴルフバッグを運ぶための車である。
アメリカやイギリスでは競技者が自分のゴルフバッグだけを載せて自分で動かしていくカートがよく見られる。日本では4人分のゴルフバッグが全て積み込め、電動で動くカートがよく見られる。4人の競技者も乗り込める乗用カートもある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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